私が31年前・・・
んーーーそろそろ32年になるのかなーーー
私が最初に親になったとき・・・
「障害」児を産んだ私は
「許し」って言う言葉がキーワードになった時期があった。
「許し」って何種類かの意味があること・・・ご存知でしょうか?
1 (「聴し」とも書く)願いを聞き入れること。許可すること。「父の許しを得て上京する」
2 (「赦し」とも書く)罪・過失・無礼などをとがめないこと。容赦(ようしゃ)。赦免(しゃめん)。「罪の許しを請う」
私は・・・「障害」このことをまずは1番の「聴し」がもらえるだろうか?
って思いがあった。
夫の家族であったり・・・周りの親族から・・・
様々あったけど・・・数年かかって「聴し」は構築されてきた。
そして2番の「赦し」
自分は・・・何だか「罪人」のように感じたものだった・・・
自分自身がどこか罪深いことをしてしまったかのような・・・
そんな思いを抱えていた・・・
「この子が自分のことが理解できるようになったとき・・・
この子は私を恨むだろうな・・・」
何だか・・・裁判を受けるような判決を下されるような
日々を思い浮かべては・・・
「なんで私だけ・・・」
「どうして?こんなになっちゃったの?」
そう責められる日が来るのではないかと・・・
いつもどこか怯えていて・・・
笑顔のかわいらしい・・・いつも!(^^)!ニコニコしている彼女を
見ながら・・・そのギャップにどこか・・・怯えていた・・・
産れてきてずっと・・・
どこか「責め心」を感じながら・・・その「心」がいつか
当人から私に向かってくるんだろうな・・・
それはいつなんだろう・・・なんて・・・いつもいつも
考えていた。
でも・・・その日は来なかった・・・
「知的」にも課題があった彼女は・・・私を責めるってこと
1回もしたことがなくて・・・ただ・・・何度も手術で入院するたび
あまりにも痛みに強く我慢強い彼女に・・・
私の方が何度も何度も・・・申し訳なさで打ちひしがれる日々だった。
やはり自分は「罪深い」と心の中で「赦し」をこうていた・・・
彼女が耐え忍べば耐え忍ぶほど・・・笑顔であればあるほど
私の罪は深いと感じたものだった。
でも・・・なんのときだったか?
何かきっと学校で勉強したんだろうなーーー
「ママ・・・産んでくれてありがと」
「赤ちゃん産むの大変だったよね」
みたいなことを言ってくれたとき・・・
たぶん小学校の高学年くらいのときだったかなーーー
何だか・・・「もういいよ」って許してもらえたような
「許可」をもらってような気がしたものだった。
でもまたこれが不思議なもので・・・
「もっと責めていいのに・・・」「なじっていいのに・・・」
そんな思いが溢れて・・・涙が止まらなかった・・・
赦(許)してほしい・・・そう思いながらも・・・
心の中は不思議なものだ・・・
そこからずーーーっと一緒に頑張ってきた。
本人の本当の「痛み」はわからないけど・・・
そこに近づこうと努力もしてきた。
そして・・・彼女の「笑顔」が曇らないよう
ずーーーっと一緒に歩んできた。
そしてこれからも・・・私の人生は
「障害」児・者と共に歩んでいく・・・共生社会の実現にこれからも
尽力していく・・・そう決めている!!
今も・・・きっと心のどこかで「許し」を願っている・・・
人間はホントに「罪深い」・・・
それを忘れてはいけないなーーーと思っている・・・