人気ブログランキング https://blog.with2.net/link/?1993112https://blog.with2.net/link/?1993112

福祉・介護ランキング
障がい者ランキング
障がい児育児ランキング
子育て支援ランキング 友だち追加

perfection of mind ~自心に究極の輝きを~

生まれ育った地域の中で、「障害」児・者が共に生き、学び、育ち、それぞれが尊重され、誰もが、幸せを感じイキイキ活動できる地域になることを目指し活動して行(生)きます。

「障害」受容~なんで私?からの脱却~

f:id:variouspeople:20200608150552j:plain

口唇口蓋裂で産れたわが子の女の子の確率は男の子の出生より
割合が低い・・・

 

たしかに、病院に通っているときも男の子と比べてどこも少ない気がしていた。

というか実際そう。なんだよね・・・

 

なぜ、低確率で生まれてくる「口唇口蓋裂の女の子」が私の子となったのか?

考え始めると迷宮入りしそうになるから

考えないようにした。

でも子どもが小さなときは

どうしても考えてしまうときもあったなーーー。

 

そのほかは・・・元気だし、可愛いし生命上の問題はない。

周りからもよく

「子どもは、親をえらんで生まれてくるのよ」なんて言われ

どこか・・・「たしかに」と思ったりして・・・

 でも、心から手放しに

「そうか!私をえらんでくれたのね!ありがとう。」

なんて思えないものでしたよ。実際・・・

「なぜ私の所に、あなたは生まれてきたの?」「なんの報い?」

と思いながら過ごしていました。

 

「おそらく、女の子」と、6か月目の妊婦健診のときに言われた。

 お腹の赤ちゃんが元気に生まれてきてくれれば、

男でも女でもどちらでもいいんですよ・・・

が・・・しかしうちは初孫

夫の方は「女の子」の孫はいない・・・と言われると、

どうしても未来を想像しちゃいます。

 多くの楽しい行事をを思い描きました。

 出産前に肌着や服をえらんでいるときも、女の子ならではの柄や飾りに、

やっぱり女の子育児への思いを馳せて

 「いつか、この子が色々お話してくれるのが楽しみだなあ」と

数年先のことを考えるとワクワクしてた。

が・・・

バラ色だった毎日から、出生して数時間後

診断名を聴かされることによって奈落の底につき落とされた。

最高の毎日から突然全てが音を立てて崩れていくようなそんな

一瞬を体験する。

娘に笑いかけることもできない、取り乱す母。

奈落の底に落ちている私の目の前で、娘は生きる希望に手を伸ばす・・

そして私には、止まることのできない

当たり前の日常と初めて尽くしの育児が待っています。

これが、私が感じた診断の瞬間。

育児というのは、止まることができない。

毎日毎日、呼吸をするように続いて行きます。

娘のしょうがい受容ができようができまいが

受け入れたくもないような現実を抱えたままであっても

「呼吸をするように育児」は続いていくのです。

昨日まで思い描いていた将来が、

今日からは全く思い描けない。

昨日と今日とで私は何も変わらないのに・・・

思い描いた育児と自分のマインドが変ってしまった。

私とは無縁だと思っていた「障害」児育児のマインドを

自分は得なければいけない・・・

「普通の人生」それを否定されたようなそんな感覚。

娘の笑顔は可愛いのだけれど・・・

娘を取り巻く景色がどこか色あせてモノクロに見える気がした。

数日前まではワクワク感じていたことまでもどこか最悪で・・・

「早く、受け入れる自分になりたい」と思う気持ちと「夢で嘘であってほしい」

そんな風によく思ったものでした。

 娘の「障害」が発覚してからは、

身内という身内が「「障害」原因」探しを始めます。

  • 妊婦のときに、歯科医にかかったのがよくないんじゃないのか
  • ちゃんと早期にわからなかったのか?
  • どちらかの親戚にいるんじゃあないの?
  • 「障害」の遺伝子をもっているんじゃない?   などなど・・・

 

わたしは、私は産んだばかりだよ・・・

理由なんて見つかって・・・どうなの?

それにもし

「原因が私だったらどうしよう」とも思い怯えてもいました。

 私の妊娠中の過ごし方が悪かったとか、私の母体環境とか・・・

仮にそうだとしたなら・・・

今度こそ本当に奈落の底に落ちて、精神も崩壊するかもしれない・・・

そう思ってもいました。

「全く考えなかったのか?」と言えば嘘になるのだけれど・・・

理由を探すよりも母親として大切なものがあると思っていたし、

もう戻ることのできない過去を追求するよりも、

早く「親」になりたかった。

簡単に言えば、一般的な育児と比べると母子ともに泣くことが多かった。

子どもと一緒に号泣した日もあったし、

布団にもぐって口を抑えて声を殺して泣いた日もあった。

「親子」をイメージする微笑ましいとは到底思えないようなシーンも・・・

多く体験してきました。

f:id:variouspeople:20200521222723j:plain

 でもさすがに・・・経験の中から「受け入れた」という時期を経験しました。

7か月くらいだったかなーーーさすがに慣れないわけにはいられない。

 誰よりも娘が一生懸命今の自分の状況を受け止めようと頑張ってる。

毎日とても苦しそう、辛そう・・・

それは毎日一番近くで見ていてよくわかる。

 彼女は彼女で、病院の力をかりたり、周囲の支援に助けられたり、

失敗や成功を繰り返して自分なりに生き方を模索し、発達・成長を遂げてきた。

 今の私はこの子の「障害」のことを、「可哀そう」ではなく「生き方のひとつ」

だということを理解しているからこそ哀れに思ったりすることもありません。

ただ、自分がなりたいとも思いません。

だって大変。生きていくのがとても大変で過酷な道だと思うから。

 やっぱり周囲のサポートと理解が最重要なんですよね。

 だから私は「障害」児・者の発信を辞めない。

私が他界したときのことを考えて、子どもたちの頼り先(支援先)も、

いっぱい作っています。

「きっと、私はそのために生まれてきたんだ」

これがコアであり使命なんだとも感じていています。

 

ずーーーっと本当に関わっていきたいなと思っています。

「一緒に居て落ち着く人」となりたい。そんな風な人を

どんどん発掘していきたいと思っています。

夢は寝てみるものではなく・・・叶えるもの・・・

これからも歩み続けていきます。