「障害」児・者に関わりながらずーーーっと思っていること
福祉サービスが充実してきて・・・
放課後デイサービスが全国的に増えてきたり・・・
インクルーシブを教育方針に取り入れた幼稚園も聞くようになりました。
そのおかげで、「障害」児の居場所が増えてきた。
そのことで助かっているか家庭もたくさんあるはずです。
でも助かっているはずの場所なのに・・・
なんだか、親子そろって社会から疎外された感じがするってのも聞きます。
それはなんでだろう?と考えてみますと・・・
時代を追うごとに、障がいのある子の居場所は増えました。
でも、居場所が増えて助かる、だけど喧嘩で大きな問題にばかりとなる子どもや、
パニック三昧で返ってくる子どもたちをみていると
「本当に、こんな暮らしをさせたいんだっけ?」
と思ってしまいます。
ある方が記事にしていました。
インクルーシブ教育を取り入れた幼稚園に通い、加配教員をつけて定型発達の子達と同じクラスに在籍していました。
就園したことで、運動会や発表会、夏祭りといった多くの子どもたちが楽しみにしていたイベントがありますよね。
「自閉っ子あるある」の例に外れず、我が家の子どもたちにとってイベントは辛くて耐え難いものだったようです。
あまりにも参加できないし頑張れない。
そしてパニックになりまくるので、担任や加配教員に
「今回は(も)参加できません、無理されずに休んでは?」
と提案される事も
もちろん、悪気があって言われたのではありません。
それは教職員の方からの
「無理しないでね」
という、私と子どもたちに対する配慮だったと思うんです。
でも、だんだんと私にとってその配慮が
「障がいがあるから仕方のないこと」
と、障がいを理由に支援を怠けている様に感じてしまって孤独に思っていました。
だから、そうした配慮についてとても考えさせられた数年間だった。と・・・
これを読んで本当に思うんですよねーーー
「障害」を理由に「参加できない子」にしていては・・・
いつまでたってもインクルーシブや障害者福祉は進んではいかない。
「そこにいて当たり前の子」
「そこに居ることが当たり前の存在」
にしてもらう為に支援をすることがインクルーシブだと思うんです。
【合理的配慮】ってしなくちゃいけないことですよねーーー
参加できるように視覚支援を増やしたり、ビニールテープを床に引いて立ち位置をわかりやすくしたり、掲示物に配慮したりなどなど・・・
支援方法がわからないなら・・・今は相談支援員入っての相談だってできる・・・
全ての機関と連携なんて簡単なんです。
でも・・・それでも誰もが・・・
イベントは、参加出来たり参加できなかったり。
「加配職員をつけるから一緒にはいれるなら集団に混ざっていいよ」
ではなくって・・・
「ここにいるのが当たり前の存在だよ」
と、そうした価値観の人が増える時代に早くなって欲しいなーー
だって、そうした大人の意識は「健常」と言われる子ども達にだって・・・
受け継がれていく、そして共生意識をもったまま大人になっていくはずだと・・・
私は信じています。
昨今は・・・
支援児童の居場所が増えているのは事実。
それは、「障害」児が安全で安心して過ごせる居場所を増やそうと思って、
なされた施策だと思うんです。
支援者やその支援場所があってこそ、生活がまわっているのかもしれません。
それを考えると感謝ですよ・・・ホント・・・
だから、支援の場さえなかった、ひと昔前と今を比べれば、今はとても幸せなはず
でもやっぱり、「障害」児の過ごし方や場所の選択肢はもっとあってほしいんですよ。
子どもたちにとっても、支援の場の数があって・・・
「ここが向かないならこっちーーー」
「少し大きくなったから、ここは卒業----」
「この空間よりもこっちーーー」
といった形で、過ごし方や暮らし方があるといいなあーーー
私達、選択して勝手にやれる側が、やりたいことや過ごしたい友人を選ぶように、
「障害」児にも選択肢がふえたらいいなあって思うんです。
毎日を当たり前に生きていると気づきにくいいのですが・・・
「何を食べようかな」「あそこに行きたいな」
「こんなことを勉強したいな」「こんなスポーツしたい」
「こんな仕事をしたいな」「ちょっと遠くに出かけたい」
「あの子と遊びたいな」
とかねーーー
たとえば、大人であるということも子どもに比べて選択肢が多いですよね。
自分のことはほとんど・・・自分に決定権がある。
でも、子どもは最終決定者が大人であることが多い。
お願いしないと手に入らないことだらけだしねーーー。
そう、子どもは・・・不自由なんです。
不自由である代わりに愛されている。んーーーー愛されている必要がある。
だからねーーー「障害」児・者ということも不自由であるからこそ、
支援の手をさしのべられる必要がある。
そういうのって、社会の中でごく自然で大切なこと。
確かに、ひと昔前から比べると「障害」児・者の居場所も増えたし支援者も増えた。
「障害」児の過ごせる場所が、あるかないかと聞かれたら「ある」。
でもねーーーそれが本当にその子ども達が居たい場所で・・・
親たちが安心して信頼して預けれる場所なのかなーーー
「障害」者就労においても就労率は上がっているけれど・・・
本当にその人は・・・そんな仕事がしたかったの?
ただでさえ、つらい生き方を抱えているのに・・・
仕事までつらかった場合、
それを発散する環境や心身の状態でない場合のことを考えると辛くなる。
そんなの、「障害」児・者の親として、黙って見過ごすわけには決していかない!!
「障害」児・者の家族は、子どもの過ごす場所を探すことに必死です。
消して足りてはいませんが、受け入れ預かってくれる場所はある。
たとえ、評判がどうでも、知識の少ないパートの方ばかりでも、
家や学校からかなり離れていても・・・まあ受け入れてくれる場所はある。
でも、そこで毎日パニックになってしまったり、
問題行動を繰り返す子どもたちの話を聞いていると・・・
本当にそこが「障害」児の居場所なのかなあーーーと思わずにはいられない。
少子高齢化でも分かるように、子どもの問題と介護の問題は目を逸らせない。
「障害」で生まれたから大変、その親は大変とか・・・
在宅介護や老老介護だから大変、そんな思考自体がもう古いと思うんです。
どんな立場に置かれた人も、その人の生活の質を上げていくために
税金を投資したり、生き方の選択肢が増えるように
サポートする事業がもっとふえてもいいんじゃないかなあーー
子どもたちの未来は、そんな人としての温かさが両手広げて待っていてほしいなーーーと思っています。