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perfection of mind ~自心に究極の輝きを~

生まれ育った地域の中で、「障害」児・者が共に生き、学び、育ち、それぞれが尊重され、誰もが、幸せを感じイキイキ活動できる地域になることを目指し活動して行(生)きます。

心ない声に対処する方法

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福祉に関わる仕事に就いていると・・・

“心ない声”を耳にすることがあります。

そう・・・やまゆり事件も判決が下りましたが・・・

事件に発展することもある・・・ってこともあるし

グループホームの反対運動みたいなことも・・・

実際にあってますよねーーー


例えば、軽い重いで言いたくはないですが・・・

認定上重度「障害」のある人たちの価値について・・・

社会的な有用性から、価値基準を「ない」あるいは「低い」と決めつける【声】

ってありますよねーーー

これは・・・その方の考え方、思考です・・・

良いのか?悪いのか?私はジャッジしませんが・・・

「違う」「間違いだ」と私は直感的に思ってきていました・・・

でもそれには周りに「説明」がいる・・・

そして、さらに・・・

「どこが違うのか?」「何が間違いなのか?」

まで把握検証しておかなければならないと考えるようにもなりました。

漠然とした正論めいたことではいけないなーーー

って思うようになったんです。

 

様々な“声”に対処できる自分自身の姿勢を身につけたかったから・・・

 

ナチスの強制収容所を生き延びた精神科医のヴィクトール・E・フランクル。

なんとなく・・・やまゆりの事件があった後・・・

報道が一段落して・・・ナチスのことを思い出したとき・・・

この方の名前が思い浮かびました。
フランクルは

「社会の役に立つということは、人間存在を測ることができる唯一のものさしでは

絶対にない」

として、窓際に座って居眠りをしているおばあさんの例を挙げていました。
このおばあさんの存在は、有益とは言えない非生産的な存在です。

一方、おばあさんを愛している子ども達や孫たちにとっては・・・

かけがえのない存在でもあります。

 

これは私が日常でかかわっている「障害」児・者たちにも当てはまります。

 

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私たち人間の価値は、社会の役に立つ

「生産的・能動的な価値」

と、誰かに愛される

「受動的・非生産的な価値」

の、2種類に大別されるそうなんです。

そのどちらが有益で大事なのでしょうか?

どちらが良くてどちらが悪いなんてあるのでしょうか?


この2点を比べてみても

「他の何者にも代えられない」という意味では・・・

どちらも同じだと私は思うのです。

 

フランクルの言説は、

「私たちは誰もが他者の価値を高めることができる」

とも受け取れると思います。

受動的な価値・・・そこには、目には見えないかもしれませんが・・・

働きかけができている訳ですから・・・ね

でも「障害」児・者だからと言って・・・

どちらか一方だけ・・・ってことでもないんですよね・・・

私は、受動的な価値を高めていく・・・能動的な行為。(ちょっと難しいかな?)

それが“支援”なのではないかな?と思うようになりました。

心ない声に向き合うとき・・・

「同じ命なんだから・・・」

「人権があるんだから・・・」

なんて実際に言いがちなんです。間違いではない・・・

でも実際に対処するとき・・・

もっと身近でわかりやすい事例

たくさんの“例”を持っておくこと・・・

これって大切だなーーーって思っています。