何かの人権作文で中学生くらい?だったか・・・
どこの件だったか忘れたんだけど・・・とっていた
今の私には心に染み入る内容だったから・・・
本当の優しさ、本当の強さとは何か。きっと、本当の優しさは困った人に手を差しのべる温かさと、時には突き放す勇気のことで、本当の強さは、心の底から相手のことを思いやる気持ちだと私は思う。
暴力をふるったり暴言を吐いて強くなったと思う人は、決して強くなんかない、弱い人間だと思う。
では、本当の優しさと強さを持った人とはどのような人なのだろうか。
私の周りにはいろいろな人がいる。その中で、私はこの人は本当の強さを持っているのではないか、と思う人がいる。
部活動が一緒で、クラスは違うけれども仲の良い友達だ。その人は、この人、こうゆう所が嫌だから直してほしいと思うと、陰でこそこそ悪口を言うのではなく、本人に面と向かって直してほしい所をズバッと言える。それもケンカごしで言うのではなく、相手のことを思って言うのだ。
そんな友達をすごいと思う反面、たまに陰口ばかり言って、本人に面と向かって言う勇気がない自分が情けなく思う。
この友達に言ってもらった人はうれしかったと思うし、この友達の行動は人権を大切にすることだと思った。なぜなら、相手の気持ちをちゃんと考えていたからである。
それでは、本当の優しさとは具体的にどのようなものなのだろうか。
例えば、たのまれたら宿題でもなんでもやってあげることは、本当の優しさではない。自分でやらないと、と断ることが、時には突き放す勇気を出すことが本当の優しさだと私は考えた。
困った人に手を差しのべる温かさとは、教科書を忘れた人にそっと自分の教科書を見せてあげる、
重い荷物を一人で持っている人を手伝う、
落ちこんでいる人をはげます、そんなささいな事だと思う。
こんな小さな勇気で、大きく助けられるのだ。小さな優しさで、人を笑顔にすることができる。私はそう信じている。
世界中の人みんなが、本当の優しさと強さを持っていたら、争いやいじめ、差別などはなくなるだろう。
けれど、みんな顔も違えば性格も考え方も違う。
そんな中で人はぶつかり合って、傷ついて傷つけて、苦しい中をもがきながら生きている。このような世界で、真の優しさと強さのある人が救い手となる。
私は、そんな存在になりたい。なぜなら、困っている人、傷ついて苦しんでいる人を助けたいからだ。でも、なかなか理想の自分になれない。
失敗や後悔をする度、自分の小ささを感じていた。そんな時、前期の反省で班の人からメッセージを書いてもらった。同じ班の女子が、
「君は君のままが一番」と書いてくれた。とてもうれしかった。
ありのままの自分を認めてもらえた様だった。たったこの一言で勇気が出たし、救われた。やはり、言葉の力はすごい。
言葉の力を、人を傷つける武器として使うのではなく、人を元気づけるものとして使うのが良いと思う。人を助ける言葉を上手に使える人こそが、本当の優しさ、強さを持った人なのではないだろうか。きっと、こういう人がいれば、少しでも人権は守られていくと私は考えた。
私は、こうやって本当の優しさ、本当の強さについて考えてみて、改めて自分は本当の優しさ、強さを持った人になりたいと思った。上辺だけ優しいふりをして人を傷つけてしまう人がいる。平気で暴力をふるって身も心も傷つける人もいる。そんな人達に本当の優しさ、強さを分かってほしいと思う。そして、人の痛みも考えられる人になりたい。そのためには、今を一生懸命生きて、いろんな人と関わっていくことが大切だ。クラス・部活動・委員会、人と関わることはたくさんある。その中で、自分がどう人と接するか、どこまで人を思いやれるか、そういうところで人の良さは見えてくるのだ。私は、本当の優しさ、強さを持って人権を大切にしていきたい。
人権って・・・何気ない日常の中にたくさんある・・・
いろいろやって成果につながらなくても
誰からも認められなくても
何をやっても感謝されなくても・・・
人が見てくれるから・・・評価されたいから・・・
やってるわけではない・・・
ただ・・・自分がやることで・・・
「気持ちがいい・・・」
「穏やかでいられる」
それだけで・・・やってる意味ってあるんだなーーーって
最近よく思う。