「障害」者の私の1番上の子どもの高校の校長先生が
本を出版された。
彼女の受験時、入学時は・・・
まだ【教頭】先生だった。
立花高校・・・
現在は・・・不登校の子どもたちの
また、さまざまな課題を抱え苦しみながら
公教育機関を卒業してきた子達の学校として
全国から注目を浴びるような学校になった。
校長ちゃんと呼ばれる齋藤真人氏も
常に学校にいられる時間がないほど・・・
超殺人的ハードスケジュールをこなしながら・・・
自分が役に立つならと講演のお呼びがかかれば
全国を駆け回っている・・・
熱い人だ・・・
ご自身も体に持病を抱え
子どもが在学中だったか・・・大手術をされ
(生死にかかわるような大きな手術)
生還され・・・ホッとしたことを覚えている・・・
「いいんだよ」は魔法の言葉
~君は君のままでいい~
そう言う題名の本・・・
さあーーー
この講演は何百回・・・何千回されてきただろう?
私も何年かにわたってたぶん十数回は聞いた・・・
(娘が会いに行きたがる・・・また仕事上で講演会へ・・・等)
他のタイトルの学習会や講演を入れたら・・・
んーーーもう何回聴いたか??
もはや・・・もう・・・わからない・・・
人は忘れる生き物・・・
何度も何度も頭に体に叩き込まないと・・・
たかが1回2回聞いたからって・・・
「わかった」
にはならない・・・っていうのが・・・
自分自身の体験から・・・
よーーーーくわかっているから・・・
何度も何度も【チャンス】があれば聞く・・・
「あーーーいい話だった」
「あーーー感動しました」
「涙なしには聞けません」
感想・・・
それだけでは終わらせてはいけない・・・
「じゃあ明日から何をするのか??」
そこが自分の中に落とし込めて
動けることが少なすぎるから
だから・・・
聴いても聴いても・・・奥が深いのだ・・・
そして・・・自分が何かをしている以上・・・
子ども達に関わることをしている立場にいるのだとしたら
聴いた以上は一緒に
『変えていく』責任がある・・・
と私は思う。
「人」を取り巻く問題だから・・・
ましてや未来のある子どものことだから・・・
学校という誰もが1度は通る道だから・・・
それも・・・この高校にたどりつく子は
様々な社会がつくりあげてきた事情によって
事情を抱えさせられたことによって・・・
3年という時の流れではなく・・・
様々な『個人』の時間軸で
世の中(社会)に【問い】を立ててくれている。
よって・・・世間の時間とは違うここでの
価値観の時間の流れの中で学校生活という時間を
過去を含め取り戻していくから
3~6年くらいまで・・・様々な期間
ここに、この学校にいる子達もいる・・・
そう・・・学校である以上ここは
【通過点】
ずーーーーっといられる場所ではない・・・
(ずーーーといられたら・・・いいけどね・・・)
子どもの「人」の流れは変わっていくし
この場を【待ってる】人達も世の中にはたくさんいる。
時代も変化していくから・・・
求められることも構造も変化し続ける・・・
だから・・・
講演は何度・・・
聴いても聴いても変化していくし
終わりがないのだなーーーって感じる・・・
ただし・・・
根本に流れる思いは・・・
ブレたりズレたりすることはない・・・
立花高校創設者の言葉・・・
今回出版の本の帯にもなっていた・・・
【ひとりの子を粗末にするとき、教育はその光を失う】
私達、会の事務所にも掲げてある・・・
何か相談があるたび・・・
困難事例が舞い込んでくるたび
そこに・・・目をやる・・・
「校長ちゃんが本を出版したんだってーーー
サインもらいに行く???」
「えーーーうそーーー
遠いけどねーーー行こうかなーーーー」
彼女が・・・(*'▽')(*'▽')ニコニコ
嬉しそうに笑ってる・・・
さあーーー今年も頑張ろう!!!!!!!!!!!!