うちの子ども(しょうがい児)が通った高校・・・
ここのところ・・・
そこの“校長ちゃん”のFacebook投稿から
考えさせられたり・・・
そのトキの自分や子どもを
思い起こしたりしながら・・・
考える内容が多いなと感じる。
たぶん・・・
今の自分の環境や置かれている状態
心がそれを求めてる
ことなんだろうと思う。
こんな投稿もあった。
生徒会の子が校長室に来て
「校長先生のご許可を頂きたい」
とまあ陳情のようなコトでくる。
勿論yesなんだがそうは答えない。
校長は独裁者ではない。
校長の許可で何かが決まること
それがそもそもおかしいことを伝え
「逆の考えの生徒の思いも良く聴いて
どうしたら実現できるかを自分達でよく考えたら
よか」
そう答えたら早速その場で
自力で大切なことに次々に気づいていた。
校長が許可を与えるのは簡単。
しかし、その簡単さと引き換えに
彼らはその先の思考のチャンスを失う。
教師が先行して何かを決める文化は
早々に学校から排除した方がいい。
ただし決定に大人が関わらないことと
責任の所在を生徒たちに
押し付けることは本質が違う。
責任は大人が負うべき
成長段階で決定に責任を持たせることは
基本的に大切ではある。
けれど上手くいかないときに
「自分で決めたんだろう」は辛い
「こうすればよかったんじゃあないかなあ?」
と的確に助言できればかっこいい
子どもは安心して失敗できる特権があるのだ。
既存の規則等で「なぜ?」
を明確に説明できないものは
早々に撤廃すべき
命令と服従は、学校には必要ない。
そんなことが書かれていた。
そして写真が貼ってあって・・・
そこには・・・
「ドアの開け閉めをそっとお願いします。
音に敏感な生徒が困っています。ご協力をお願いします。」
と書かれていた・・・(素敵な思いやり)
んーーーー最近は
人と話しあうっていう機会が少なくなって
言われっぱなし・・・
言いっぱなし・・・
一方通行の会話が多いなーーー
と感じる?
だから・・・
うちの会員さんが相談に来たときには・・・
私からの質問返しが結構多い。
本人の考え方を知る機会や
うっかり聞き漏らしてないか?
自分の発言はどうだったか?
いい悪いではなく双方向で考える・・・
「どうしてそう思うのか?」
「子どもは何て言ってる?」
「子どもの言い分は聴いてる?」
「それに関してどんな動きをしましたか?」
「相手の立場に立って、
その言われ方をしたら話を聴き入れます?」
「一番に考えるのは誰のことですか?」
みたいな・・・
“校長ちゃん”が問いかけるように・・・
「逆の考え方の人の気持ち」
を聴くってコト・・・・
初めから“否定”ではなく・・・
同じ立場、同じ土壌で・・・
相手の言い分も私の言い分も
フラットで良い悪いのジャッジをせずに
お互いがお互いの言い分を聴くってコト・・・
そこから・・・
新たな“発見”があり“方法”が見つかり
進んでいくこともある・・・
その方が・・・結果・・・
これからの進み方が早い・・・
わかってる人がやれば早いし
結果も早く出るから
“許可”で動きたい・・・し
言ってほしい!!それが楽だし・・・
でも・・・それは
“広がってはいきにくい”
単発で終わっちゃうんだよね・・・
私のデスクの前にはねーーーー
さまざまな【言葉】が書かれているのだが・・・
最近は・・・
よく・・・この言葉を見ている
“早く行きたいなら1人で行け
遠くに行きたいならみんなで行け”
私は・・・いつもいつも思ってる。
これからも
みーーーーんなと良くなっていきたい・・・
みーーーんなと幸せになりたい・・・
そのためには何をしていこう?
これからどうしていこう?
こんな事したら楽しいかも・・・
これってよくない??
ずーーーーーーっとそんなこと考えて・・・
幸せな未来に早く
近づいていきたいと願っている。