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perfection of mind ~自心に究極の輝きを~

生まれ育った地域の中で、「障害」児・者が共に生き、学び、育ち、それぞれが尊重され、誰もが、幸せを感じイキイキ活動できる地域になることを目指し活動して行(生)きます。

絶対守るから・・・

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NHK障害福祉賞での優秀賞で

 

「過去からの出来事から得たもの」で優秀賞とった36歳の男性の手記の取材記事をみた。

 

苦しかった過去を振り返り、その思いを家族に伝えた。

その一部始終・・・

 

1つ上に脳性麻痺のお兄さんがいる。いつも兄につきっきりの母。

弟さんは、母に心配をかけないように、小学校の頃からスポーツ、勉

強、成績も優秀で、なんでも1人でやる“手のかからない子ども”だっ

た。

兄は意思疎通がわずかな言葉で可能で、よく笑う。

母は、今も昔もパワフルで目立つ存在。兄と自分と自分と4歳違いの

妹、口数の多くない父の5人家族。

家族の中心は、兄と母だと幼いころから感じていた。

 

そんな中、忘れられない出来事が起こった。

小学校6年生のとき・・・近所の公民館で開かれた交流会。

車いすからおり床に寝転ぶ兄に、周りの子どもが、からかい始める。

ひどい言葉の数々・・・黙ってみていることしかできなかった。

差別と偏見に満ちた空間・・・そこに母の叫び声が響いた。

 

「この子だって生きているんだよ」

 

家に帰って母は言った。

 

「たった1人のお兄ちゃんがあんなにバカにされて悔しくないの?」

 

私は、ただ泣いた。母も泣いていたが、気持ちが通じ合っていたわけ

ではない。

あんなに悲しい説教は、あの日が最初で最後だ。

 

やがて、学校で兄の真似をする子ども達が出てきて、自分もからかい

の対象になっていると感じるようになった。

一言「いじめられている」と母に打ち明けたこともあったが掘り下げ

て話すことがないまま、次第に母と兄とは距離を置くようになった。

 

唯一、心が安らぐのは、父と過ごす時間だった。

が、中学校に入ってすぐ、突然の心肺停止で5年後亡くなった。

唯一心を開ける相手を失い、ますます弱音を吐かず、すべてを1人で

抱え込もうとすることが、増えていった。

この頃、気持ちを閉じ込めてる意識はなく、とにかく上の方にいて自

分を保っていた、そんなところはあった。

高校もバスケの強豪校に入り全国大会に出場するなど部活動に没頭し

て、母や兄と距離を置く。

大学では教員免許を取り、卒業後は東京で教員になるが、長くは続か

なかった。

 

周りに助けを求めることが苦手で自分を追い込んでいった。

 

「感情に蓋をするじゃあないです

けど・・先輩の先生に「辛いんで

す」とかは出さない・・・そんな

癖がついちゃって周りに良く見せ

うとも思っていたと思うし、大

丈夫だよ・・・平気だよって」

 

うつ病を発症し、実家に戻り再び母と生活することになる。

しかし言葉を交わすことはほとんどなく・・・

苦しみ続けた数年間・・。・

近くの川に死のうと飛び込んだこともあったそう・・・

うつ病からの回復には長い年月が必要だった。

6年前に結婚してから過去の自分と向き合えるようになった。

 

その後もいろいろ続くのだが・・・最後は

 

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「最近、息子たちがよくケンカを

する。やっぱり兄弟げんかはうら

やましい。うらやましいけど、す

っきりとした気持ちできょうだい

喧嘩に立ち会える。正直、こんな

日が来るとは思わなかった。

兄は今日も私を呼んで笑ってくれ

た。兄は私の存在をいつも認めて

れていたのだ。」

 

こんなことは・・・

他人事ではない・・・うちももし、年子だったら・・・

そうなっていたかもしれない・・・

 

手術ばかりの第1子だったので・・・3歳年をあけた(手術のはざま)

次の子にもしっかり向き合うために3歳は必要だった。

(夫は1年生になって・・・と言っていたが・・・)

歳があきすぎると一緒に育たない・・・

そんな気が何だかして・・・

障害を自然に受け入れるには、頭のまだ柔らかい柔軟性のあるころ、

学校に行く前がいいのではないか?と私は何となく直観のようなもの

があった。

どうしても時間的比率が、病院、入院、療育で取られる姉。

一緒に行けるときには一緒に・・・そして隙間時間(彼女が個別療育

とか・・・学校とか)に彼との特別な時間をつくる。

学校の役員もどの子も平等に引き受けた。

入院のときは、両家の両親にかわるがわる来てもらったり、交代して

もらったり・・・

彼には

 

「障害があろうとなかろう

と・・・一緒なんだ・・・絶対し

なくてはいけないこと以外

は・・・」

 

と思ってもらいたかったから・・・

大人になった彼にも良く聴く・・・けど・・・

 

「イロイロあったけど・・・あん

まり覚えてない。みんな知ってた

し、友達もいたし・・・困らなか

った・・・お母さんが良く入院し

ていた時に「寂しい思いをさせて

ごめんね」と言っていたけ

ど・・・

実際、ばあちゃんたちいた

し・・・そんなに寂しくなかっ

た。」

 

と・・・。

私への気遣いもあるのだろうけど・・・

 

こんな記事にふれるとねーーー。考えさせられる。

 

私たちは過ぎてしまった・・・

 

だけど・・・今・・・まさに・・・の人達には・・・

きょうだいの気持ち・・・きょうだいの思い・・・

早くに対応してほしいと・・・

 

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「お母さんは、あなたの見方だ

よ。何かあったら絶対守るか

ら・・・」

 

「何かあったら、絶対に言ってね・・・一緒に考えるから」

(私の口癖だった・・・)

 

って・・・