昨日のブログを書いていて
重ねて思い出していた。
『戦後最悪の大量殺人』
『福祉施設を襲った狂気』
等々・・・・
テレビや新聞、雑誌に
衝撃的な見出しが並んだコトがあった。
もう2年以上の月日がたったんだなあ~
そんなにたったんだ・・・
2016年7月、神奈川県相模原市の
県立知的障害者施設「津久やまゆり園」で
元施設職員の男が入所者19人を殺害。
職員を含む27人に重軽傷を負わせた。
パトカーに乗っていた彼の
不気味にも見える笑顔が今も忘れられない。
そして
「入所者は生きている価値がない」
と言い放ち
言いようのないいたたまれない気持ちになった。
“言葉による会話”のない方、
全介助で家族や職員の手助けなしには生きられない方
日々状態が悪くなっていく方
さまざまな“生”“命”“生きざま”があ
る。
特に“教育”を受ける幼児期から学生期の
出会いや学びは大きく人生観を変えていくと思う。
この世の中出会える人の数は限られている。
その中で、出会った出会いは本当に希少な価値がある。
教室のあの席がいつも空いている・・・
「あの子はどうしているんだろう」
席替えしても
「彼は、いつもあの席・・・なんで?」
あの子と話をしたいけど・・・
「いつも先生が横にいるから話しにくいな・・・」
そんな子どものつぶやきや思いに気づけているのか・・・
「あの子は〇〇学級在籍です」
「そんなにしつこく聞くなら○○学級の先生に聞いて
きなさい」
「何かあるたびに暴れて大変なんです」
「自分勝手に行動して困っています」
「病院で生活を整えませんか・・・」
「次回の学校行事・・・参加の条件は・・・」
そんな言葉・・・子どもはどんな思いで
聴いているのか・・・
「あーーーー自分達とは違うんだ」
「病院に入らなきゃいけない子なんだ」
「みんなと一緒は無理な子なんだ」
「みんな困ってるんだから違う学校に行けばいいのに」
しいては・・・
「いなくなればいいのに・・・」
なーーーーーんてなりはしないの・・・
その中から
「生きている価値がない」とか思った
り・・・
また、そうされた子達が
恨みや妬みや負の感情の傷を残し
大人になっていったとしたら
どうなってしまうのか・・・
おたがいの存在を認識し、
意思や感情を感じ合うのが人間。
自分で確認し、心に落とし込み考え表現しあう。
そんな人間としての人格。
注視すべきは
全て『大人側の責任』
昨日からずーーーーーーと
そんな気持ちにさいなまれている・・・・