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perfection of mind ~自心に究極の輝きを~

生まれ育った地域の中で、「障害」児・者が共に生き、学び、育ち、それぞれが尊重され、誰もが、幸せを感じイキイキ活動できる地域になることを目指し活動して行(生)きます。

子どもの「褒めポイント」の心得

私は、自分が幼少時代から褒められることがなかったので・・・
 
「褒める」ってそんな簡単なことではないって思ってました。
 
「褒められたい」とはきっと・・・思ってた・・・
 
だけど・・・
 
「私なんて・・・誉めポイントない」
ってずーーーーっと思ってました。
 
だって・・・けなされても「褒められる」てことは
何かで賞状をもらったとか、先生から褒められたとか
学校での勉強の順位が上がったとか・・・
そんなことでしか・・・誉めてもらえず・・・
(回数が少ないので・・・(笑)( ´艸`))
 
だから・・・私は標準以下の「ダメな子」だと思ってきました。
 
弟が勉強ができたんでねー--
 
だから・・・私、教育実習に行っても・・・
なんだか・・表面的に「褒める」けど・・・
 
結構・・・
「これくらいのこと・・・」って心のどこかでいつも思っていました。
 
きっと・・・
 
褒めることは良いと頭では分かっていても、褒めるどころか
どちらかというと・・・自分が叱られてばかりだったので・・・
本当に毎日怒鳴られていたし・・・
だから「‐ポイント」ばかりが目についていました。
 
だから・・・「褒めポイント」ってわかりだしたのは
 
自分が結婚して「障害」児が生まれ
子育てするようになってからだった
って思います。
(おそー-----(@ ̄□ ̄@;)!!)
 
母の子育ては・・・
子どもを何とかしようとする気持ちが強ければ強いほど
ついつい怒鳴っていたって感じだったのかなー--って思います。
 
私だったら・・・
「やってまった」って後悔しちゃいますが・・・
 
母は・・・
「あんたが悪いー--!!!」だったから・・・(笑)
 
さらに暴力!!か外に放り投げ、鍵を閉めるか・・・
何らかの制裁がありましたねー---
 
母は・・・きっと「褒める」=「すごい」しか知らなかったんだと思います。
 
本当に子どもの何を褒めることが大事なのか?
ということがわかってなかった・・・
 
本来、怒鳴ることや制裁、体罰では何一つメリットがないってことが
分かってなかった・・・んだと・・・
 
だから・・・私自身も・・・
なかなか気づきませんでした。
 
怒鳴られたり叱られてばかりだと・・・子どもはどうなってしまうと思いますか?
 
お母さんはきっと・・・
「子どものため」って思ってる・・・
 
でも案外それって・・・
「私はこんなことしてほしくない」
「こんなことでは恥ずかしい」
「私は今こうしたいのに・・・」
みたいな感情が渦巻いてることって・・・あるかもしれません。
 
つまりは・・・
感情の根底には子どもの都合というより
親の都合で怒っていることはありませんか?ってことです。
 
ちょっとキツい言い方をすると・・・
お母さんが思うように子どもをコントロールしようとしてはいませんか?
ってこと
(これに気付いていないお母さんも多いと思います)
 
それが上手くいかないと怒ってしまう原因だったり・・・するかも・・・
 
でも
そのような状況が続いてしまうと・・・
子どもはお母さんの顔色を見て行動するようになってしまいます。
(私がいつもそうでした・・・今日のご機嫌はどうかな?って)
私は・・・だから・・・
お母さんのようにはならないって心に硬く決めていましたが・・・
子どもの一番の身近な大人の見本はお母さんってことが多いので、
 
私ももしかしたら
自分の思い通りにならないことがあれば、
怒ったり、大きな声で怒鳴ったり、
暴力をふるったりする可能性はゼロではなかったと思います。
 
むしろ、分からず・・・無意識レベルで・・・
そうなることの方が多いかも・・・しれないとも思います。
 
特に「障害」児の親である場合、
中でも、発達障害児は
怒られた、恐怖などの苦い記憶は鮮やかに残りやすいため、
このような間違った対応は記憶に留まりやすくなりますよね。
 
 
だからこそ、なおさらのこと、感情的になって怒ってしまうことについては
注意が必要です。
怒鳴る、大声を出す、威嚇することは子どもにとってプラスの要素が
1つもないと思います。
ついつい怒鳴ってしまう親の感情の裏には・・・
ほとんどが親の都合であるということがあり
子ども目線で物事を考えていないことが多いと思います。
 
それでは子どもとの関係性もよくなるはずがないのです。
(私と母との関係は・・・いうまでもなく、あまりよくはありません)
 
では・・・どのような時に褒めるのか?
子どもが何でも100%できるのを待ってはいませんか?
ほかの子と比べて褒めようと思っていませんか?
 
 
子どもが完璧に何かを終えるのを待っていたら
いつンなるんでしょうか?
褒めるチャンスを逃してしまいませんか?
 
 
そもそも子どもが1人で完璧に物事ができるなんて奇跡に近い・・
そのような奇跡を待っていたらいつまでたっても褒めることはできません。
 
 
子どもの褒めるときポイントは、
 
「何かやり始めたらすぐに褒める」これです。
 
 
子どもが何か行動し始めたら、
 
「○○するんだね」
 
「○○しているんだね」
 
 
と、やっていることを具体的な言葉で表現し、
まずは・・・肯定しましょう。
 
行動できたことに本人が気づきやる気がアップするはずです。
 
 
そして、それが途中まででも
少しでもできたら
「○○までできたんだ」
 
「もう○○終わったんだ」
 
「あと少しだね」
 
 
と、タイミングよく褒めるてあげると
子どもの行動が長続きして・・・良い状態に近づけることができます。
 
途中まででもOK!
完璧にできなくてもOK!
 
文句を言いながらでもやればOK!
 
当たり前(当然)なことでもOK!!
 
 
子どもが何かやり始めたらすぐに褒める!
 
途中でたくさんこまめに褒める!
 
これが、褒めの鉄則だと私はb思います。
 
 
だって・・・私がそうされたら・・・良かったなー--って
思ってるから
 
私もやってきて・・・「よかった」って思います。
 
ぜひ、試してみてくださいね

「障害」~環境を輝かせるために~

「障害」児の娘が、まだ・・・子どものころ
いつも学校で何かをやらかしてくるのではないか?連絡帳をそっと開く・・・
学校から電話がかかると・・・「ドキドキ」する
なんてことがありました。
みなさんからも・・・
夕方になると学校からの電話が憂鬱になってしまう・・・
連絡帳に毎日毎日やらかしたこと、できないことを書かれて心が折れる
ってこともよくお聞きします。
  
自分の子どもを信じたいけど、なかなか信じてあげられない現実。
悪い話ばかり聞いていると、自分は子供のよいところを見つめていたいのに
よいところに焦点が全くいかず・・・
いつの日か悪い行動、できないことばかりに目がいってしまいがち
困りごとの多い発達の凸凹があるお子さんを持つママの共通の悩みではないでしょうか?
学校生活で困りごとが多い原因として、発達特性の凸凹があります。  
これらを周りが理解していないと、怠けている、ふざけていると、とらえられてしまい、本人のやる気がそがれてしまいます。 
特に注意欠陥多動性障害であるADHDの特性は学校生活と相性が悪い、なじみの悪い傾向があります。
不注意の特性では話を集団において聞き逃すことが多々発生します。 
また、衝動性は、視覚に敏感で過敏なことから、気が散ったり、場面での切り替えが難しかったりしてしまいます。 
特に、衝動性の強さは友達とのトラブルも引き起こしやすくなりがちです。  
そこに多動性も加わると、授業中に立ち歩いたり、過剰に反応したりと・・
集団生活での困りごとは数えきれないほどとなってしまいます。
このように困りごと事態は、その子の特性から来るものだと、わかって対応するのと、

だらしない、やる気がない、親のしつけがなっていないと捉えられるのとでは、子どもの成長期に与える影響は大きく変わるといってもいいでしょう。

幼少期から衝動性が強いため、お友達を不愉快にさせる言動をしてしまうことが多かったお子さん。 
低学年ではよく聞く
「先生~、○○さんが悪口言ってきた~」
「○○さんが嫌なことをする~」
という告げ口をされることが多くあったそうです。 
すると、周りの子ども達の
「そういえば僕も言われた~」
「私もこの前言われました~」
なー--んて波及していき、はい、悪い子レッテル、困った子、問題児
のできあがり・・・
本人はいたっては悪気はないんだけど、衝動性の強さから、どうしてもやめることができないことがあるんです。 
何度も何度も先生に注意を受けたとしても、わかっているわかってはいるんだけど・・・中々直すことができません。 
通級指導教室、個人的に遊ぶなど少人数での気心が知れていたり、配慮のある中でのコミュニケーションはまだ、どうにか上手くいきますが、
通常の学校生活ではそうはいきません。
トラブルととらえられることが多い。
でもこれも「人との出会い」で変わることがあります。 
私も様々な方に、自分の思考や親としての在り方考え方・・・
様々教えてきてもらいました。様々なポイントで「変わってきた」
といえます。
だから・・・私も今度はそうなれるように努力してきました。
その子その子の「悪いレッテル」をはがしていく・・・ってこと
本人や周りから話を聞くとそんなに悪いことをしていないのに、
悪い子、困った子が浸透しているだけで大きく損をしている。
 
「こんな対応されたら私だって嫌。○〇さんはいつもみんなに指摘されてばかりだね。いつの間にか、いつも悪者、困ったっちゃんになっている。
これでは、ひねくれてしまっても仕方ないよね」 
 

って感じです。

子ども達一人一人の良い行動をきちんと見る。
本人の得意なことでは、リーダーになってもらう

自分で自分の感情がコントロールできたときは「よくできた」て褒める。

悪いところを指摘することや見るのではなく、本人の良さを見つめ引き出し周りからの本人についてしまっているレッテルを剥がす対応、
これが超重要なことだと私は思います。
 
私はイメージ1つで周りの対応もすべて変わってくる体験もしてきましたし、そこをを学びました。 
 
 
途中で何らかの発達しょうがいの診断がおりると、困惑することも多いかと思いますが・・・
周りには子どもの特性を伝えやすくなるのではないでしょうか? 
毎年の先生方との連携の際、悪いイメージやレッテルを持たれないように、 「本人の良いところ得意とするところ、強み、今、頑張っているところ
を伝えるようにしてみる。 
 
 
そして、「こういうところもあるので、配慮をお願いします。」というように、苦手な特性を伝えるようにする。
学校は「合理的配慮」をしなければならないと決まっていますから・・・
それを実行することは必須です。 
凸凹の凹だけや凸ばかりでなく、両方を伝えることで、学校生活のいろんな場面で活躍できる場を用意してくれるはずです。 
勉強だけではなく、学校の様々な行事や、多様な場面で、
本人の活かせる、できる仕事を与えてもらうことで、
本人の自信につながるきっかけにもなりますよね。 
 
ぜひ、子どもが今いる環境を「生きやすい(活きやすい)」場所にしていきましょう。
 

「障害」日々の生活を生きやすくする方法

発達障害児者が日々の生きづらさを軽くしていくためには、

どうすれば?生活上の困った?不適応を減らせるかがポイントになると思います。

そのためには、まずは、ありのままの自分を知ること、

そしてそれを自分自身が受け止め、

「どのような場面でつまずきやすいのかな」

「どんなところで生きgyるしさを感じるかな?」

を分析し、理解することが大切になってきます。
自分の苦手なことや困ったことが整理できると、具体的に何に気をつけたらよいか?

がわかりやすくなり、今後のそれが起こったときの方策を立てるために役立ちます。

苦手なことを完璧に克服することは難しいかもしれないし、そこを一生懸命やる必要もないかもしれません。

意識を変えてみたり、生活を工夫することによって・・・

「障害」と呼ばれるものが・・・

ちょっとした「凸凹」の範囲に収めることができる可能性は十分にありますね。

 

性にもよるかと思いますが・・・

 

・口頭ではなく、メモやメールなどの「文書」でひとつずつ伝えてもらうようにする
・ほんの些細なことでも必ずメモを取るようにする
・できるだけ1対1、できれば窓口となる人を限定して、対面で指示をしてもらう
・図やイメージ、フローチャートなどを使った自分流のマニュアルを自分で作る

 または、作ってもらう

・仕事をパターン化すること、自分の記憶に頼らないようにする
・やるべき仕事をすべて書き出し、順番をつけ、見えるところに貼る

(ノートや付箋などを利用するとわかりやすいかもですね)
・終わった仕事からどんどん消していく、付箋を外して捨てていく
・優先順位がつけられないときは、周囲の人に優先順位を決めてもらう

 

も考えられますね。

 

私も加齢とともに「書く」「消す」はやってますねー--

 

また・・・なくしものも多いので

 

・しまう場所を決めておく
・保管場所を一覧表にしておいて、目の届くところに貼る
・物を増やさないように、定期的に整理する時間を取る
・書類やメモはデータ化して保管する

 

こんな風な工夫もありますよね

 

発達障害がある=発達しない、ということではありませんから心配しないでくださいね。凸凹の差が人より大きく、目立つことがあるかもしれません。

んー--発達の早い部分と遅い部分があるみたいなイメージ・・・ということになりますかねー--

「必要なことを経験するチャンス」があれば「たくさん成長できる」ということは誰にも当てはまることではないでしょうか?
しかし、周りの理解があり、自分の得意なことを伸ばすことができれば、いくつになっても成長は可能であること、そして同時に、不得意なこと、苦手なことを抱えたままでも社会で活躍することは可能であると思うのです。様々な分野でそれを証明して下さってる方もたくさんいますよね。

大人の発達障害の理解や支援は、まだまだ始まったばかりとも言えます。
それでも本人の自らの工夫や周囲の人達の配慮、医療や福祉の支援によってできることは沢山あります。可能性は無限に開かれているのではないでしょうか?

一人で抱え込まない。家族や身近な人だけでは社会が狭すぎる・・・

様々な「経験」を積んだモデリングしたい人を見つけ、親子ともども・・・

学んでいきましょう。

 

 

「障害」告知のタイミングっていつ?

子どもに「障害」いがあった場合、いつどうやって告知したらよいのでしょうか?

まー-そもそも告知をしたほうが良いのか?悪いのか?多くの保護者が悩むこと所ではないかと思います。

特に途中で診断される「発達しょうがい」などは・・・告知の時期に戸惑いがあること以前に。。。保護者がそれを受け入れるまでに時間を要することもあるでしょう。

タイミングは・・・とても繊細な問題です。まだ自分自身が「受容」していないときに話すことはやめてください。冷静な判断ができず、最悪に事態に親子とも陥ってしまうからです。

「あなたは。お子さんはお子さんのままで良いと思っていますか?

それとも直してあげなきゃって思ってますか?」

「もちろん、直していきたいです。」

もしそう思われるのなら・・・

「今はあなたがいう時期ではありません。本人の全てを受け入れることが出来た時にしか告知をする準備が整ってないからです。」

どう思われますか?「えー--じゃあどうすればいいの」って思われるかもしれませんが・・・

親として・・・どう準備すべきか?考えてみましょう。

時にお子さんが「自分は人と違うと思う」「自分は人と違うのではないか?」

って聞いてくることも出てくるかもしれませんね・・・

では・・・そんなときあなたはなんて答えるでしょうか?

 

「あなたは発達しょうがいの○○で・・・」なんていうことは・・・

本人が望んでいる答えでしょうか?


その時は、「あなたが人と違うこと私も知っているよ。」

「人と違うなんて当たり前、どんな人だって好いとこ悪いとこはある。

私もできないことたくさんだったし、たくさんの欠点もある・・・でも

ちゃんと大人になって生きてきてるよ」

しっかりと「告知」鵜をする前に・・・何度も何度も・・・

「私は知ってる」「でもそれでいい」をしっかり伝え続けることだと

私は思います。

 

そしてお母さんやお父さんが勉強している姿や本や情報ツールで

「もしかして・・・自分は・・・」

ってなったとき・・・その時は・・・

しっかり逃げたりごまかしたりしないで、しっかりと話をしてあげてほしいのです。

九九したり、ごまかしたりぼやかしたりしてしまったら

「自分は言えないくらいひどいのか?」「親は恥ずかしいのかもしれない」

とお子さん自信が傷ついてしまう。

正直にまっすぐと

 

「そうよ。あなたは発達しょうがいだから通級に行ったり療育したりもしているんだよ。」

「そうよ。苦手なことが人より大きく出てしまうことがあるの」

「苦手と得意の差がほかの人より波が大きかったりするんだよ」

大きな波がいったり来たりするから・・・自分の中のコントロールが効きづらかったり

苦しくなったりしてるでしょ・・・

とても大きなエネルギーが動いているから疲れて、きつくなったりするよね

それを自分で少しでも楽になれるように一緒に勉強していこうね

 

って感じでしょうか?

 

「障害」という言葉に傷ついたり、

様々に続くコミュニケーションの取れない現実に傷つくこともあるでしょう。

でも、全員が理解者にはならなくとも・・・

きっと理解してくれる周りはきっといる。

本人自身がそれを感じ取る日はきっとやってきます。

告知とは、言葉で伝えるだけではなく、子どもが「受容できるまで」のことだと思います。

だから、伝える側の保護者が全面的に子どものことを受容できていないと、子どもを傷つけてしまう。

「言葉」だけの表面的なものを伝える。は「伝える」になりません。

自分には何が出来て何が出来ないのか。どうやって生きていくのか。

大人の世界に飛び込んでいく子どもに、広い世界で迷子にならないようにと渡す地図のようなもの。

迷ったときに進路を指し示せるよう、親がきちんと伝えてあげる事が大切なんだろうと、

私は思っています。

 

さあー-お子さんへの「告知」の準備はできてますか?

「障害」の説明を求められたとき・・・どうする?

昨今は、発達しょうがいってよく聞くようになりましたよね?

義務教育の中でも増え、特別支援学級が急激に増えています。

また、教室の中でこのような子どもたちと一緒に学ぶ機会が以前よりは増えていると思います。

すると、子どもから「どうして○〇ちゃんは、じっとしていられないの?」とか「どうして急に大きな声を出すの?」など、その子の特性について問われる保護者も少なくないのではないでしょうか?その時、あなたなら・・・どう答えますか? 重度の身体、心身しょうがいも含めしょうがい者について、子どもたちにどう伝え、どう導けばよいのか?迷うところではないでしょうか?

私は、人間誰しも多かれ少なかれ「障害」というものは日々持っていると考えています。

例えば、私自身は「老眼」です。人を頼らないと見えないことも多いです。また、身長が低いので高いところのものは、やはり人を頼ります。

それも日々の中では「障害」の1つではないか?と思うのです。

太っている、やせている、極度の緊張症、どもっちゃう、震えちゃうってことも困りごとであり、その人にとっては「障害」でしょう。

みんな何かしらの困難を抱え、完ぺきな人間などまずはいないはずです。

なのに、「あの子はしょうがい児だから…」「あの子は「普通ではない」」

なんて言ったりして・・・子どもに友だち付き合いをさせないということはありませんか?

「障害」は外から見えやすいものと、見えにくいものがあります。

「視力が見えにくい」などはコンタクトレンズを装着してしまえば他人からはわかりません。また聴力に問題がある人もなかなかわかりづらい見えにくい「障害」と言えるでしょう。

歩行が不自由で、車椅子や白杖を必要とするのは、見えやすいかもしれませんね。

もし子どもが「障害」について何か聞いてきた時には、

「見えやすい場合とそうでない場合があるし、あなたも私もみんな、何らかの困難やできないこと困りごとを持っている。

だから、別に意識せずに自然に接すればいいよ。その人のよい所や、自分と何かしら気が合っている部分、共通することを見つけて、それを尊重して付き合うことが大事なんではないかな?」

みたいなことを言ってみてはいかがでしょうか?

日本はまだ、身体、知的などの見えやすい「障害」児の家族の負担は大きく、苦労も絶えないのでしょうか?

私は「親戚が来るから連れてこないで」「帰ってこなくていいよ」と言われたことがあります。

私はその時、とても悲しかった。でも今は、むしろ

「ああ、どんな人も多かれ少なかれ、困難を抱えているのに、そういうことが、まだわかっていない人たちがまだいるんだな」

と思います。この世の中に無駄な人間など一人もいません。

現に、私の家の結束が固いのも、仲が良いのも、娘の存在のおかげなのです。

海外では宗教の影響もあり、「社会的弱者を助けるのは当たり前」という文化があるようですね。

日本では小さなころから「人様に迷惑をかけてはいけない」「人にむやみに頼らない」という文化が根強く、目に見えやすい「障害」児者の人にとっても生きにくい社会かもしれません。

しかし、もともと人間は誰しも他人に迷惑をかけながらでしか生きていけないのですから、本当は“お互い様”なのだと思います。

海外のように「人は迷惑をかけながら生きるものだから人に寛容になりなさい」

人は本来、生まれたとたんに「何もできない」ので周りに、他人に迷惑をかけながら、助けてもらいながら生きていく。

そしていつかは自分も「助ける」側に回ることもあるかもしれない。ならないかもしれない・・・

でも・・・「それでもいいんだよ」の価値観。

寛容さを教えていけたらなー--って思います。

 

あなたはどう考えますか?

 

理想のお母さん像が壊れたとき~「障害」児が生まれた~

昔々・・・

若いころの私は・・・

子どもが好きだったから

大きくなって大人になって・・・

結婚してお母さんになったら・・・

 

「子どものいいお母さんになる」

 

「優しくて穏やかで話をよく聞くお母さん」

 

「暴力を振るわないお母さん」

 

「子どもわ励ましさげすんだり嫌味を言わないお母さん」

 

そんなこと思ってた・・

私が欲しかったお母さん像を

全部全部やるんだって・・・

そう思ってた・・・

 

でも結婚して子どもが生まれて・・・

その子が「障害」児だった時・・・

その思い描いたものが・・・

ガーーーって音を立てて崩れていったんだ・・・

 

「それどころじゃアない」

 

「私これからどうしたらいいの?」

「どうやって育てていくの?」「これからの人生は一体どうなっていくの?」

 

「わからない」「怖いよー--助けて」

「誰か教えて!!」「これからの未来はどうなっていくの?」

 

もー--恐怖でしかなかった・・・

自分自身がどうしていいか分からないパニック状態・・・

 

子どものことを考えているようで・・・

いってることは

自分、自分、自分

ひどい・・・親としてのスタートでしたねー--

 

理想と現実は違う・・・ってよく聞くし・・・

頭ではわかってるんですよ・・・

 

だけど・・・こんなことになろうとは・・・

ぜー--んぜん想像もできなかったものだから・・・

 

天と地がひっくり返って・・・ぐるぐるしちゃった・・・

そんな感じ・・・

 

全然・・・いいお母さん像なんて・・・

想像できなくなっちゃった

 

産んでしばらくして・・・手術を終えて戻ってきた

娘と向き合いながら

あれだけ(@ ̄□ ̄@;)!!仰天して・・・

「私かわいそう」「私どうする?」

だったのに・・・

今度は・・・ねー--

自分を責め始めるの・・・

 

「こんな風に産んでしまって申し訳ない」

「私のせいだね・・・ごめんね」「ちゃんと産んであげられなかった」

「この子が判断がつくようになったら・・・きっと責められるな」

 

笑顔を向けられるたび・・・今度は辛くて辛くて・・・

「ごめんね」「ごめんね」

心の中で・・・ずーーーっとつぶやいて育ててた・・・

(ちょっと鬱っぽかったかもねー--)

 

周りが・・・理解者のようで理解者ではない・・・

誰もこんな子どもを育てた経験なんかないんだから

励ましているようで・・・なんだか私には絵空事に聞こえて・・・

 

「大変よね」「頑張ってるよ」「よくやってるよ」

「くよくよしないで・・・」「なんとかなるよ」

「深刻に考えても仕方ないよ、もっと大変な人はいる」

「命にかかわることではないんだから・・・」

 

そうだよね・・・そうだよ・・・

だけど・・・ヒビが入った心って言われれば言われるほど

ヒビが網目のように広がっていくこともある・・・

 

周りが「よかれ」と思って言ってることが・・・

私には当時「つらかった」

 

人は人によって傷つけられもする・・・けど

でも、それでも人の中で生活していく

「1人では生きられない」から・・・

 

だったら・・・どうする?

子どものニコニコ笑顔を毎日見ながら・・・

外で遊んでいる子どもの声に反応する子どもを見ながら

 

「あー--私がすることは・・・たった1つ」

 

この子を丸ごと知ってもらうこと・・・

 

そこから・・・怖がり、ビビりの私は・・・

外で聞こえる

子ども達の中に進出することから・・・

理想のお母さんになるべく・・・踏み出していったのでした・・・

 

・・・・・続く(笑)( ´艸`)

 

 

 

 

 

人が「成長」するとき

「障害」児者たちの成長はとても顕著・・・

それが何歳で出会ったとしても・・・

成長しない人なんて1人もいない・・・

 

40代で知り合った彼女は・・・

仕事に行けなくなっていた・・・

作業所に行っても仕事を続けることができない・・・

いつしか自宅で過ごす時間が増えて・・・

外に出れなくなった・・・

 

丁寧に話を聞いて・・・

やりたいこと、やれること。やってみたいこと

順々に整理する・・・

苦しい気持ち、つらいこと、悲しかったことを吐き出していく・・・

外に1歩出てみる・・・

新しい事業所に少しづつ行ってみる・・・

順調に少しづつ~滑りだす・・・

またあるきっかけで行けなくなる・・・

自宅で仕事をやってみる・・・

やってくれたことに・・・

「感謝」を伝える「ありがとう」を言い続ける

 

また来れるようになってくる・・・

でもまた・・・ってな・・・繰り返しをしながら

だんだん自分の言葉を持つようになり話をし

「こうなりたい」「あの人を目指したい」「あんな風になりたい」

そんなモデリングを見つけ、先に、前に進んできた・・

4年くらいになるかなー--

 

まるで「別人」見違えるようだ・・・

これからの「課題」がないわけではない・・・

きっとこれからも「進化」し続ける・・・

40代後半・・・

今までできなかったこと、やってこなかったこと、言い出せなかったこと

これから・・・「初めて」にもまだまだ出会っていくことだろう

 

楽しみだなー--って思う。

 

また・・・

出会ったころ・・・全く言葉を発せなかった少年

17歳くらいだっただろうか?

今では20代後半に差し掛かっている

 

学校の単位が危うくて・・・卒業するためにやってきた・・・

18歳になる年だったっけ?

壁際にぺったりくっついて・・・人と目を合わせない

言葉も・・・言って「はい」くらい・・・

ほとんどは言わない・・・

 

でも・・・仕事はどんどん覚えていった・・・

できることがたくさんある・・・

「場面緘黙」だけど・・・

年月を重ね・・・諦めない周りの声かけ・・・

発信をしている彼のSNSを見つけつながったり・・・

ずーーーーっとずーーーーっと・・・仲間と一緒にやってきた。

一言二言・・・から始まり

仲がいい子ができて・・・少しづつ「表現」を始める・・・

もー--今では口数は多い方ではないけれど・・・

ふつー--に会話を誰とでもする・・・

 

人って「成長」したい生き物・・・

つくづく感じる・・・

それは・・・

1人で黙々とするより・・・いつも手の届く場所に

今話したいわけでもないけれど、何かをしてほしいわけではないけれど

誰かがいる・・・一緒にいる・・・

見つめる目がある・・・

手を伸ばせば・・・握手をして、手を握ってくれ

引っ張っていってくれたりする・・・って存在があること

これって、すごー--く大切なことだなー--って思う・・・

 

出会ったすべての人を見ていて・・・

「人は人の中でこそ成長できる」「人にいただいた言葉って大事」

モデリング・・・って大事!!

出会う人ってすごく大事!!って思う。

 

出会ってもらってありがとう。

一緒に「成長」させていただき・・・ありがとう

 

今でも毎日毎日・・・

たくさんの子ども達、「障害」児者たちに「成長」

させてもらってる

 

まだまだこれからも一緒に「成長」し続けていきたい

前に前に先に先に・・・

 

楽しみ💛(⋈◍>◡<◍)。✧♡

 

 

 

 

言葉って人柄が出るツール

言語の勉強をやってて・・・

言葉の大切さ、言語化。伝え方・・・

リーダーとして・・・どんなマインドでいるべきか?

 

環境や仲間の大切さ・・・時間配分・・・

 

「誰から学ぶか?」「何を学ぶか?」「時間をお金で有効に買う」

そんなことを考える機会が増えた・・・

 

今までできてなかった自分を振り返りながらも・・・

様々学んでいると・・・

日々の買い物や会話の中でも・・・気づきが多い・・・

 

今日もタイムスケジュールに午前中は追われていた

ランチを一緒にする、お友達の誕生日に・・・

お花をプレゼントしようと花屋さんに立ち寄って・・・

「花束を作ってほしいのですが・・・どのくらい時間がかかりますか?」

って聞いたら・・・

かえってきた答えが・・・

「金額によります」

ん???ちょっと言ってる意味が分からなかったけど・・・

店員さんは笑いながらそう言った・・・

不可思議の思いながらも・・・

「●●円くらいなんですけど・・・」と伝えると・・・

「あー--それなら10~15分でできます」って・・・

(あー--花のボリュームのことだったのかな?

でも・・・その言い方って・・・苦笑)

時計を見る・・・うん!それくらいなら・・・

待ち合わせの時間に間に合いそうだ・・・

「じゃあ・・・お願いします、

ちょっとほかのお店を回ってきます」

 

・・・で15分後言ってみると・・・

できてない・・・そこから待つこと15分~20分・・・

 

待ってる間

時計を見ながら・・・

計算しても・・・

ぎりぎりで動いていたから・・・間に合うか?少し遅れちゃう・・・かな

って感じだったので・・・

 

待ってる間に遅れるから・・・先に行っててってライン連絡・・・

(まー--誕生日プレゼント花束もって後からいっても格好はつく)

 

結局頼んでから30分以上かかった・・・

「大変。お待たせしましたー--」って・・・

(ホントだよ・・・って思いながらレジに行こうとしてたら)

切り花を買って、私に気づかず・・・

先に並ぼうとしていたお客様に

「ちょっと、あの方が先なんで・・・後にしてもらえます」

って・・・

花束は注文通り素敵に出来上がっているのに・・・

なー--んか残念な気持ちでいっぱいになった・・・

 

自分の中で・・・

お花を扱ってる方=心の豊かな人=美しい言葉を使う

 

って・・・な過分な定義があったのかもしれないけど・・・

 

それにしても・・・

人の時間を「奪う」って意識もないこと・・・

(時間は有限・・・時間かかるならほかの物選んでた)

私もやってるかもしれないなー--って思いました。

自分では・・・

「たった10分20分でしょ・・・」

って思っていても・・・

自分の時間の価値観と他者の価値観は違う・・・

時間は取り戻せないからねー--大事にしてほしい・・・

人のことをしっかり考えてほしいんだよねー--

 

私が・・・今日の花屋さんだったとしたら・・・

「花束を作ってほしいのですが・・・どのくらい時間がかかりますか?」

って言われたら・・・

「どんなものをお望みですか?」

とか・・・

「ご自宅用ですか?プレゼントですか?」とか・・・

聴いたかなー--で

「お聞きしたもいいですか?ご予算はおいくらぐらいですか?」って

聴くかなー--

 

時間にしても

花束にできるのは・・・多分10~15分何だろうけど・・・

1人でお店を回してる・・・としたら・・・

リスクマネジメントとしてプラス2倍の時間をいう・・・かなー--

 

お客様の最大の利益を考える・・・

時間を無駄に使わせない・・・

 

今日もランチ会食の中で・・・

このことが話題に・・・

「よく・・・何も言わなかったねー--」って・・・(笑)

私だったら

「高かったら早いんですか?どういうこと?」っていってたわー--

なんて・・・(笑)( ´艸`)

 

人のふり見て輪が降りなおせ・・・

頑張ります💪💪💪💪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

経済産業省「未来人材ビジョン」

経済産業省の「未来人材ビジョン」ってパワポを

見てみた。

90枚くらいあるのだけど・・・

内容がとても興味深い・・・

これからの「未来」の子どもたち・・・

日本が向かっていきそうなとこ・・・

世界情勢と比べて・・・

 

「うー---ん」u---nn

うなってしまう・・・

 

18歳の子たちの「社会への当事者意識」が低い

将来の夢を持っている・・・60%

自分で国や社会を変えられると思う・・・18%

自分の国に解決したい社会課題がある・・・46%

諸外国に比べてかなり低い

これは「学校教育」のせいなのか?

それとも周りにいる大人のせいなのか?

とにもかくにも・・・子ども達のせいではない・・・

ってことだけは確かですねー--

 

では・・・どうしてこうなってしまっているのか?

 

考えてみましょう・・・

何を考えるのか?

それは「自分自身のこと」

大人としての自分が・・・子ども達からどう見られているか?

っていうことです。

 

「わー-毎日楽しそう・・・」

「お父さん(お母さん)の仕事って素敵だなー--」

「いつもイキイキしててかっこいいなー--」

 

そんな姿を見せることができているでしょうか?

帰ったら・・・

「あー--疲れた」「もー--●●さんが・・・」

「もー--毎日嫌になるー--」「できることなら・・やめたー--い」

 

なんて・・・お家で言ってはいないでしょうか?

そこんとこ・・・大丈夫ですか?

 

もし・・・

「はっ」「あっ」って思い当たることがあったとしたら

原因の一因がそこにもあるかもしれませんね・・・

要因の一端を身近にいつも見ている大人が作ってしまっている

と・・・いうことになります。

 

これには・・・統計からみると

人に投資をすることが少ない日本の実態・・・

もちろん働く環境や企業内の研修なんかにも

問題はあるのでしょうが・・・

 

でも・・・だから・・・「仕方ない」では

未来を担っていく子ども達に申し訳ないですよねー--

 

社会が、会社がやってくれないから「仕方ない」から

「社外学習、自己啓発を行ってない人」は・・・

 

日本人は、やってない!!堂々1位46%

2位のニュージーランドとは2倍の差があります。

ベトナムなんて・・・たったの2%

 

どれだけ大人が必要なこと以外・・・

「もう学ばないよー--」って感じになっているのか・・・

 

これを見れば・・・

子ども達が「学ばない」ことをとやかく「言うことはできませんよねー--

 

今までは社会の中で

【注意深さ、みうがないこと】【責任感、まじめさ】

が重視されてきたのかもしれません。

けれど・・・これからの世の中は

【問題発見力】【的確な予測】【革新性】

が求められる

的確な決定、情報取集力、客観視する力、表現する力、

時代の変化に対応していく力が必要になってくるそうです。

 

若い世代に求められること

「常識や前提にとらわれず0から1を生み出す能力」

「夢中を手放さず1つのことを掘り下げていく姿勢」

「グローバルな社会課題を解決する意欲」

「多様性を受容し他者と協働する能力」

だそう・・・

 

これからはコミュニティの時代だとも言われます。

どんな環境でどんな人に出会い、どういう風に選び取って行くのか?

 

子ども達と一緒に未来のために

日々自分を「更新」日々「成長」

これからも楽しくやっていきたいなーーーって思ってます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

面倒くさがりのあなたへ

「お!!それいい」「あー――やってみたい」

「わー――面白そう」

なんだかやりたいことはたー――くさん!!ある・・・

だけど・・・

やり始める1歩がなー――

なー――んか面倒くさい・・・すぐにできなー--い!!

そういうそこのあなた

「本当は、やる気満々になりたいですか?」

「自分のモチベーション上げていきたいですか?」

 

「はい」「イエス」って答えた

そこの・・・そんなあなたに朗報です!!

 

なんと

「やるぞー――!!」「やったるでー――!!」

に簡単になれる方法があるんですよ。

ビックリするくらい簡単なんですが・・・知りたいですか?

 

その方法は3つです。

 

まず1つ目「昔を懐かしむ」

はー――???

なんじゃそれー-って思われるかもしれませんが・・・

 

これにはちゃんとした実証データがあるんですよ。

ハーバード大学の「時計の針を巻き戻す実験」で

どちらかというと元気のないお年寄り8人を5日間

その方々が40~50代の時の昔の部屋を再現し

音楽やテレビもその時代のものを再現、そこで生活してもらったところ

5日後に体の検査をした結果、筋力はアップし、視覚も聴覚もアップ

体の動きもスムーズになり、IQや記憶力もアップ・・・

何より驚いたのは・・・

みなさん来た時とは全く別人のように・・・

小走りに外に出てフットボールをはじめられたとか・・・

 

2011年「ザ、ヤングワン」というテレビ番組がこれを再現し

放送したところ・・・

イギリスでアカデミー賞を受賞したそうなんです。

 

2つ目は・・・

「つらい経験と喜びをセットで記憶する」

 

まずは、今までの経験を思い出してみてください。

 

「登山はきついけど頂上での景色は最高」

「つらい練習を乗り越え最高のチームになった」

「勉強はきつかったけどほしい資格が取れた」

 

この記憶はつらい経験+喜びになってますよね

 

これを思い出すことより努力をすることができるようになり

「あら?不思議」努力家に・・・継続できやすくなるそうです。

 

3つ目「熱い人のテレビなどを観る」

プロフェッショナル、情熱大陸、熱闘甲子園等々・・・

 

これもハーバード大学で2000人対象の研究で

隣にやる気のある人を置き仕事をした結果と

隣に消極的な人を置き仕事をした結果のデータがあります。

 

生産性を比較した結果、やる気がある人を置いた場合は117%

消極的な人を置いた時には70%

・・・と50%近くの差が出ることがわかったそうです。

 

熱意や波動って人から人へ感染していくんですね。

自分の周りの人や環境選びって本当に大切ですよね。

 

以上3つです。

この3ついかがですか?なんだかできそうな感じしませんか?

さー-周りを見渡してください・・・

 

あなたの周りにはどんな方がいますか?

ネガティブ発言、悪口、陰口・・・?

 

それともポジティブ発言

嬉しいね、できるよ。大丈夫、楽しい、ついてる、ありがとう

 

環境も仲間も・・・

そう・・・選び取るのは「あなた」です。

周りの問題ではない・・・

「自分自身」の問題・・・

 

今・・・

「あー--」「うー--」って思ってる?

 

面倒くさがりのあなた、あと1歩が出ないあなた・・・

 

この3つで改善間違いなしですよ!!

 

まずは何より「考動」

ぜひ・・・やってみませんか?