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perfection of mind ~自心に究極の輝きを~

生まれ育った地域の中で、「障害」児・者が共に生き、学び、育ち、それぞれが尊重され、誰もが、幸せを感じイキイキ活動できる地域になることを目指し活動して行(生)きます。

【悩み】そして・・・考える??

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人を日々憂鬱な気持ちにさせる

【悩み】

これは人それぞれに・・・

感じ方に違いがあって・・・

環境や生き方にも違いがあるから・・・

一概に

「たったそれくらいで・・・」

「もっと大変な人なんていくらだって

いるよ・・・」

 

なんて簡単には片付かない問題です。

でもひとりで【悩み】の中にいても

解決はありません。

 

よく「障害」者の方達も

ご相談に来ますが・・・

 

「どうして?そうなりましたか?」

「そうならないために

どうしたらいいと思いますか?」

「それは・・・この前

整理したことではなかったかな?」

 

そんな風に自分で“考えてみる”

ってことをしてもらいます。

同じことで何回も

来る方もいますが・・・

整理したことを思い出しながら

これからの自分が同じことを

繰り返さない

そんな・・・参考資料にできたら

いいと思っています。

 

これは「障害」児・者に限らず

保護者の皆さん方も

深い【悩み】の中に

いるときは一緒です。

 

同じ場所で、同じ内容が

頭の中でグルグル

まわってる・・・

 

「悩むより考えてみて・・・」

 

ってことは・・・みんな一緒です。

 

高校や高等部を卒業前は

子どものこれからの進路のために

子どものために一生懸命・・・

節目節目には・・・これからの

将来が・・・って

一生懸命になるのだけど

何だかどこかに落ち着いてしまったら

ちょっと気を抜いちゃって・・・

ゴールにたどり着いたように

勘違いしちゃう人達も多くいて・・・

 

んーーー待って待って・・・

後は平和な毎日が来るなんて・・・

それがずーーーーと続くなんて

思ったら大間違い・・・

それは・・・

どんなことでも一緒です。

 

いいことがあったら・・・

それに匹敵する苦しみ、悲しみもやってきますよ。

 

いいこと悪いことは、大なり小なり

交互にやってくるものです。

 

どこに行っても嫌な人は

山ほどいるし

本人にあわない人も

あわない支援者だっている・・・

 

よく小学校に上がる前の保護者が

 

「地域の学校にいったら

いじめられたら可哀そう何で・・・」

「地域の学校では専門性が・・・」

 

と言われ支援学校を

選ばれる選択をする方がいますが

 

「支援学校だからといって

いじめはないわけではないし専門性も

先生によって異なります」

 

とお伝えしています。

実際、私たちの会では

支援学校にいってる方も

いらっしゃるので

学校の状況はわかりますし

それは“事実”だからです。

 

あわない、不満、嫌・・・

そんなこと山ほどあるし・・・

いやな人がいて

当然・・・

 

不平や不満ばかり言っていても

どうしようもないし・・・

そんなことばかり言っていたら

誰も助けてくれなくなるかも

しれません。

 

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では・・・

子ども達のために何をすれば

いいのか???

 

それはやはり【対話】です。

 

【対話】って先日私も

話を聴いて・・・

深いなーーって思ったの・・・

 

なかなかできてなかったって・・・

 

【対話】ってね・・・

あなたも正しい、

私も正しいで話すこと・・・

とかく人は(私)心の中で・・・

 

「このことに関しては・・・

私が正しいでしょ」

「この件に関しては・・・

そっちか・・・」

 

なんてどこかで思いながら

話してしまいがち・・・

 

だけど・・・

お互い価値観の違う者同士・・・

お互いがジャッジを入れずに

対等に・・・

あなたも私も正しい

の視点から・・・話をする。

 

なかなか難しいです・・・

 

私も随分・・・

できるようになってきましたが

私たち会の保護者も・・・

そこ・・・

難しい人多いので

よくお話し合いに

入ったりしてます。

 

子ども達のために

私たち大人が何をすべきか???

迷ったら・・・

感情が先走ったら・・・

 

深呼吸しながら・・・

どうぞ・・・ご相談くださいね(笑)

 

 

 

 

 

「出すときにありがとう」「出してくれてありがとう」

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最近出会いが増えたせいか・・・

世の中には、こんなに人には言えない苦しみや

考えられないような地獄の日々を送っている人が

いるってコトに気づかされ・・・

ビックリすることばかりです・・・

けれど・・・とても逞しく強くしっかり生きていらっしゃる。

その上・・・

とても“優しい”・・・“温かい”

「そんなお辛いことを話していただき

ありがとうございます」

って言ったら・・・

「ううん・・・最近まで忘れていたの・・・

だけど自分の体をヒーリングしていたら

思い出しちゃって・・・」

って・・・

こんなに心も体もズタズタに切り裂かれるような

出来事なのに・・・

それを・・・

“忘れていた”という芯の強さ・・・

きっと・・・

“そんな人たちに私の人生を変えられない、そんなのは

なんの傷にもならない、左右されない”

というような強い思いだったのかなーーー

なんて・・・

 

それは・・・遠く昔の恨み言やネガティブな感情

としっかり向き合い、自分が

【変わる】ことを決心して前にすすまれてきた証

何だろうけど・・・

 

同じ人であり・・・女性であり・・・

そんなに体つきだって変わらない・・・

年齢はちょっと若いけど・・・

 

ソウダ・・・私より若いんだ・・・

なのに・・・その【悟り】

 

私なんて・・・まだまだやってないなーーー

できてないなーーー

 

そう思う衝撃的なことは・・・ここ最近

少なくはないのだ・・・

 

そして・・・このような出会いは・・・

私が“目に見えないもの”に価値を見出し

お金を投資してからの出会いなのだ。

 

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よく起業家や経営をやってる方・・・

また人として尊敬できる方は・・・

あまり・・・洋服、アクセサリー、バック

みたいな形あるものにお金の価値を見出して

いらっしゃらない・・・

それは、形あるものは

いつか価値がなくなってしまう

ということもあるのだが

いつも・・・何か自分に【問い】を立てられ

自分の学びや知らないこと、経験や体験・・・

そんなことに価値を見出して

お金を投資していらっしゃる・・・

つまりいつも・・・ご自分に、

ご自分の志向(思考)に・・・ってコト・・・

 

のようだ・・・

 

ある方は

 

「お金はね・・・

出すときに【ありがとう】なのよ」

 

っておっしゃってた・・・

 

えーーーー何で???って思ってたら・・・

 

「だって、野菜だって、なんだって

誰かがつくってくれなかったら

私たちの手元には

来ないわけでしょう?

家だって車だって・・・

何でも同じじゃあない??

だから感謝は買う側がするものなの

「払ってやった」

「こっちは客だよ」じゃあないのよ・・・」

 

って・・・

 

「まずは、出す・・・って

意識がないと

手に入るものは・・・

少なくなるわね・・・

私は・・・これ・・・

お金ないときからやってるの・・・」

 

っておっしゃってた。

 

何でもそうだよなーーー

物事・・・やるかやらないか・・・

どうしようか??うじうじ迷ったら・・・

私は飛び込むのが1番だと思って

今までやってきた・・・

やってみなきゃわかんないって

えいやーーーでね・・・

飛び込んでみたらねーーー

なんとかなるもんなの・・・

そこには・・・私は【失敗】はない・・・

考動ありきでないと・・・

前には進まないと思ってるから・・・

 

辛い、苦しい、悲しい・・・

そんな出来事に大騒ぎして周りをまき込んで

マイナス感情ぶつけまくって・・・

大変な時もあるけれど・・・

その感情を・・・これからの自分の人生の

糧にして。。。

楽しく、明るく、ワクワクするそんなこれからの

自分の未来へ・・・

切り替えていく『理性』

 

自分ひとりでできなかったら・・・

人を頼っちゃいましょう・・・

 

「イロイロ吐き出してくれて・・・ありがとう」

 (これも出してくれてありがとうだ・・・)

 

「さあこれからどうしようか」

「次は何をしていく??」

 

ってきっと・・・

 

これからのいいこと・・・方法・・・

たくさんでてくるはず・・・

最近そんなこと・・・

学ぶことばかりなんです・・・

 

 

 

 

 

共生社会、夢の実現への⁅問い⁆

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最近は・・・ずっとエッセイをblogに

のせていきながらも

 

その間に様々な取り組みのご案内や・・・

自分達のイベント準備・・・イベントなどをこなし

その間に保護者やご本人の悩みや不安・・・

 

そんなお話も聞かせていただき

そしてみなさんの投稿を日々拝見しながら

さまざまな【問い】を自分に立て日々過ごしている。

 

そんな中、

 

先日“移動市長室”に本会が

参加させていただくようになり

行政の方や市長との懇談会のようなものがあった。

 

私たちの会のことは

本市の市長は前市長の時代から

ずっと気にかけていただき・・・

お話をさせていただいたり・・・

様々な行事にも参加していただいている。

とても気さくにお話をしてくださり・・・

「障害」児・者福祉の件についても

よく耳を傾けてくれ

前年度は福岡県庁の方にまで

現市長とは同行させていただき

お話をさせていただく機会もいただいた。

なかなか一足飛びには・・・

物事は進まないものだが・・・

それでも【考動】していただけることに

感謝しかない・・・

 

そう・・・

先日の懇談でも様々なお話をする中で

市長も長年“移動市長室”をしながら

「最初はよちよち歩きだったが・・・」

という初めてからのお話や

「こういう生の話を聴きながら

自分に【問い】を立てる・・・」

というような話をされていた・・・

 

そうなんだ・・・

こんな市の全体をみわたす立場にある方でも

 

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自らに【問い】を立てる・・・

自ら【考動】する・・・

 

私が「障害」児を産み育てだした30年前の

自分と

今の自分は明らかに違う・・・

市長のおっしゃったように・・・

よちよち歩きの自分から

少しづつ考え、行動し、決断し

日々に【問い】

も立てられるようになってきた・・・

最初は・・誰かに勇気づけられ支援され

導かれるばかりで・・・

何か誰かがやってくれるのを受け身で

待ってばかり・・・

行動も鈍くて

言われたことをやるだけ・・・

で精一杯と思っていた・・・

 

でも今は・・・

私自身が【夢】をもって

周りのみんなを

勇気づける人でありたい

と常に願っている。

いや、願っているだけではなく

そう行動していっているつもりだ。

 

先日も“移動市長室”で

語ったこれからの展望。

 

【共生社会】共に生きる・・・

 

言葉でいうのは簡単だが・・・

なかなか・・・現状では・・・

一足飛びにはいかない

それは、とてももどかしいけれど

 

それも重々主知の上・・・

 

私は【夢】を語り続けていたい。

 

それは・・・こうなればいいねーーー

宝くじ当たればいいねーーー

 

みたいな漠然としてモノではなく・・・

 

『必ず、そうする、そうなる』

と強く思い描く【夢】【未来】【ビジョン】

 

大人はよく・・・

「そんな夢のようなコト・・・」

「そんなことより・・・もっと現実を見なさい」

 

なんて・・・よく口にする・・・

んーーー私も口にされてきて・・・

なんとなく

「大人が言うんだから」

ってそうしてきたけれど

 

ホントにそうなんでしょうか??

すべての生き物の中で⁅夢⁆を見れるのは

人間の特権・・・だといわれています。

 

ならば・・・自分の思い描く未来

そんな⁅夢⁆を現実に

知識を積み、情報を集め、経験を重ねていく

そうやって・・・

子どもたちにも・・・

もっともっと・・・⁅夢⁆を見てもらいたいなーーー

って思う。

 

あなたの⁅夢⁆は何ですか? 

 

 

「障害」児・者団体広報エッセイ集より17

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学齢期だった2人・・・との出会い

それぞれの「障害」が異なり

ご家族も様々な体験を重ねてきました。

小学校、中学校と学齢期には

一緒によく学校にも行きました。

小さかった2人・・・お母さんもすごく一生懸命で

体調を崩されることも少なくなかったように

思います。

それが・・・今では成人し・・・大人になり・・・

成人式を迎え・・・あれからさらに2年かな???

ひとりは大学生・・・1人は就労支援所へ・・・

そんなに大きく成長してきた・・・

 

双子って・・・私には想像もつかない世界・・・

それも異なるしょうがいで・・・それぞれの子どもの

それぞれの病院、療育機関・・・

そして教育など・・・

きっと・・・すごーーーく頑張ってこられた・・・

 

最近、知り合った熊本の方は・・・

5人中3人がしょうがいがあって・・・

って確かおっしゃってたし

3人ともみんな耳が不自由なお子さんをお持ちの方も

いらっしゃった。

お子さん・・それぞれ異なるしょうがい・・・

そしてお母さまも・・・って方もいる。

 

さまざまな家族の形態と出会ってきましたが

どのご家族も・・・

それぞれ一生懸命・・・

そんな家族に出会わせていただき

私も・・・私達家族も・・・

本当に成長させていただいたと心より感謝している。

これからも・・・きっと・・・

学びの連続・・・

みんなで一緒に楽しんでいきたいと思っている・・・

 

 

 

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トゥインクル

 

双子(ともに障害あり)の息子と娘が、

今年の五月に、おかげさまで二十歳になりました。

新春には、いよいよ成人式です。

 

 九月が出産予定だったので、

五月出産での子ども達は七百五十g、六百六十gと

超未熟児として産まれました。

たくさんの病気のため、何度もの手術とそれからの治療。

幾度となく生死をさまよい、これでもか、これでもか・・・

という試練を親子共々乗り越えてきました。

 

 子どもが成長し、学齢期になって、

小中学校は、地域の学校へいきました。

学校行事(遠足、運動会、宿泊など)になると、

親子の意志や希望と学校との意見がくい違ったり、

差別的な言葉や行動に傷つくことも何度もありました。

 そんな時、障がい児をもつ先輩お母さん方や考える会、

議員さん等に支えてもらい、励まされ、助けてもらいました。

嫌なこと、辛いこと、不安なこともたくさんありましたが、

それ以上に、子どもの笑顔や努力していく姿、

その中で、たくましく成長していく姿を見て、

地域の学校に行って本当に良かったと思っています。

 子どものためにと自分が頑張ってきたつもりでいましたが、

実は、私がたくさん成長させてもらい、

たくさんの方々との出会いやつながりをもたせてもらい感謝しています。

 

 子どもは成人し、大人の仲間入りをしましたが、

これからもまだまだ、いろんな方々の協力が親子共々、

必要だと思います。

 そんな私達、家族ですが、今後も少しずつ、

ゆっくりペースで成長していきたいと思っていますので、

これからもどうぞよろしくお願いいたします。 

 

                           【Y・Y】

 

 

「障害」児・者団体広報エッセイ集より16

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ダンスをおしえていただいた先生・・・

若くて子ども達にも大人気・・・

体を動かすことが好きだけど・・・

スポーツをバリバリやったりはできない・・・

ダンス教室は何だか・・・通うのは・・・

みんなの中で上手くできない・・・

そんな声を聞いて始めた・・・

 

人の声を拾いながら・・・

何が必要なのか・・・

考えてやってみる・・・

それに共感してくれ来てくださる先生方・・・

ホントに・・・

有難い限りだ・・・

 

トゥインクル

 

ダンスは言葉を使わない非言語コミュニケーション

コミュニケーションは大きく

「言語的コミュニケーション」と

「非言語的コミュニケーション」の

2種類に分けることができます。

「言語的」とは、文字通り「言葉」を使った

コミュニケーションの全てのことを指します。

必ずしも、音声を伴っている必要がなく、

書き言葉も言語コミュニケーションと

みなされます。

手話や筆記も、言語コミュニケーションなのです。

「非言語的」とは、ジェスチャー(身振り手振り)、

姿勢、動き(うなずきや振る舞い全般)、

表情、声のトーン(強弱や早さ、間)

などのことを指します。

 

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2000年に日本で公開された「ダンサー」

という映画がありました。

その映画のストーリーは、

生まれつき言葉が話せない主人公の

女の子が挫折を繰り返しながら、

プロのダンサーになるという夢を掴みとる

までの物語です。 

この主人公の女の子は会話ができない代わりに

普段は手話で会話しますが、

ダンスを踊っているシーンのダンスや

表情から伝わる表現力に魅了されました。

この映画のすごいと感じた部分は、

台詞が少なく音楽がベースにあること。

言葉のない場面でもたくさんの

メッセージが伝わってきて、

重要なポイントになるメッセージは

直接的な言葉ではなく、ストーリーの中で

少しずつ伝わり、観ている人の五感全てを

刺激するような感覚を今でも覚えています。

彼女を温かく見守ってきた人も、

そうでない人も、彼女のダンスを通じて

ひとつなった瞬間、凄まじいエネルギーが

一気に解放されていく様が素晴らしかったです。

この映画を見た時に、

私はダンスの可能性を感じました。

ダンスはただ踊るだけではなく、

自分を表現することができるコミュニケーションの

1つになるのだと確信しました。

ダンスを通じて障害者団体、

施設などと関わらせていただき

軽度の方から重度の方まで関わらせて

いただきましたが、笑顔が増えた、

明るくなったなど、良い変化があった

というお声をいただけることも多く、

親御さん自身が普段の生活では発見できていなかった

お子様の良さや変化に気づいたということを

体感していただけていることが

私にとって1番の喜びです。

私がイギリスに留学した時の事ですが、

イギリスのダンス文化を体感して、

イギリスの人々にとってダンスは

とても身近にあり、小さい子供から

おじいちゃんおばあちゃんまで

一緒に楽しんでいたこと、

ダウン症の方や車いすの方、

義足の方がダンスをプロ並みに

踊られていたことがとても印象的でした。

町の教会にある集会室のようなところで、

幅広い年齢の方たちが、身体を使った、

表現や遊びをしていました。

そこには年齢は関係なく、

一人一人が表現者という印象を受けました。

またダンスを通してコミニケーションや

人への接し方を学んでいるようにも感じました。

みんなが楽しみながら、自分が考えていることを

言葉ではなく身体で表現していたのです。

そこには、正解はなく真っ白なキャンパスに

いろいろな人の個性という色が混ざりあって、

1つの作品を作り上げている感覚でした。

今後は、イギリスのように

ダンスが普段からもっと身近になり障害者、

健常者という枠組みがなく、

子どもからお年寄り、障害者、

健常者に関係なく一緒になって踊れる

コミュニティダンスを広げられるような

活動ができればと考えています。

「障害」児・者団体広報エッセイ集より15

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以前書いていただいたものを・・・この通りに・・・

広報誌に載せました・・・

学校の先生です。

 

先日・・・相談に来た方が

「随分前の広報誌に・・・先生が書いていたのが

印象的でした・・」

「どんなのでした???」

ってきいたら・・・

「何か最初にショウタンをした時の・・・

ご自分の後悔のようなコトが書かれていて・・・

率直で自分の非をみつめていらっしゃることと・・・

こんな先生もいるんだなーーーって感動しました」

っておっしゃってました。

 

モノを届けるって・・・

人の心の中に残ることって・・・たくさんあります。

直にも・・・遠くにいても・・・

思いは共有できます。

 

私たちは・・・直にの方は・・・もちろん

ここに・・・側に来ることができない方にも

思いが届く活動をと

ずーーーっと目指して活動しています。

 

広報誌も・・・SNSも・・・

時代の流れとともに

何をどう届けていこうか???

スタッフと共に・・・

みなさんの生活の幸せと

よりよい社会になっていくためには・・・

地域をもっとよくするためには・・・

そんなことを考えています。

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トゥインクルより・・・

 

大島さんから,原稿を頼まれて数か月。

なかなか書かない私に,

幾度かの催促があってやっと書いています。

でも,何を書いていいか分かりません。

それで,以前書いていたレポートを

引っ張り出して,考える会との出会いを

振り返ることにしました。

 

         

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こんなことをレポートに書いていました。

そして,筑紫野市から異動した今も,

「考える会」

の活動に参加させてもらっています。

でも,長く教員をやっていると時々,

教員の傲慢さむくむくと顔を出します。

まだまだです。

これからも,

「考える会」

を自分自身の学びの場と考えて,

みなさんと一緒に活動して

いきたいと思っています。        (J)

「障害」児・者団体広報エッセイ集より14

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私たちの会は・・・立ち上がって・・・

41年になります。

そして・・・この会の面白いのは・・・

1人の教員と、1人の保護者から始まった・・・

ということです。

全国を・・・見ても・・・

今でも・・・親と教員が一緒になって活動を進めている所は

多分少ないのではないでしょうか??

 

いつか・・・東京に・・・何かの授賞式で行ったときに

 

「どこも・・・10数年が長い所ですよ・・・40年も続いてるなんて

なかなか聞かないね・・・」

 

と言われたことを思い出します。

でも・・・これって・・・

決して嬉しいことではないんです。

 

この会がなくなること・・・なくすことができない・・・

そんな世の中なんだな・・・

っていつも考えています。

 

この先生は会の設立に近い時期からずーーーーっと

今も関わり続けてくださっています。

 

もう・・・私も・・・何年のお付き合いになることか・・・

 

尊敬する先輩のお1人です。

 

 

トゥインクル

 

65歳

 

私は65年間、「障害」者として生きてきました。

30年間の教員生活、そして65歳の人生を支えたもの・・・

 

そして「自分」として生きてこれたのも、

「しょうがい」者としての自分があったからではないかと思います。

 

最近、特別支援と言われはじめ、

「障がい」を持った「子どものため」といって、

さまざまな取り組みが行われています。

 

一日の学校生活の中で、子どもどおしが

一緒に生活する場面が少なくなり、

何かあれば、

支援学級(しょうたん)の先生や支援員の先生がすぐ動いて、・・・

学級の子どもたちが、かかわる場面はほとんど見なくなり・・・

まるで、学校の中に特別支援の学校が出来たみたいになって・・・

 

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僕は、「障害」者です。

 

みなさんは、僕の人生をどう思われているのだろう?・・・・

くるしかったろう、かなしかったろう、がんばったんだろう・・・??

 

僕は子どもたちと出会ったときに最初に話します。

 

手が動かないこと、そして、動かない手は、

僕の宝物である事

手が動かないから、悲しくなったことは、ありません。

 

手が動かないことで、ひとりぼっちになったとき、悲しくなります。

 

手が動かないことで、ひとりぼっちにさせるのは、まわりの健常者です。

 

そして、動かない手によって、私はいろんな経験をし、

考える機会がたくさんありました。

それを気づかせてくれたのは、同和教育との出会いだったと思います。

 

新学期にどこの学校でもある、

雑巾集め・・・

持ってこない子を名前を黒板に書くのか、

家庭連絡するのか・・・

それとも? 大切な事は、どうしてその子が雑巾を持ってこないのか、

きちんと知ること、見ることだと思います。

 

授業中の発表の回数を教室に張り出す・・

しばらくすると、

高い棒グラフと低い棒グラフの子どもの差が一目瞭然。

大切な事は発表できない子は誰なのかを知ることででなく、

なぜ、その子が発表しないかと言うこと。

 

雑巾を持ってこない子どもも、

発表をしない子どもも、

僕が動かない右手からたくさんのことを学んでいるのと同じく、

自分だけ雑巾を持って行けないことから、多くのことを感じています。

 

それを、

「その子のすばらしい学び」

にしていくことが教師の仕事だと思います。

 

だから教師は、自分で出向いていく事が大切なのです。

 

子どもも大人も「しょうがい」者の人と

関係を作れなくなった事は、

学ぶ機会を無くしていることになります。

 

同和教育を大切にして取り組んである人、

場所に出向いて人と出会ってほしいと思います。

 

そこは、自分たちの生い立ちから、経験から、

感じ学んできたことを大切にした人たちがいます。

 

はっきりいいます。

同和教育、人権教育はとても楽しいものです。

きつく苦しいものではありません。

そして子どのためでなく、「しょうがい」者、

そして弱い立場の人のためでなく、

私たち自身のためのものです。           

                           (R・M)

 

「障害」児・者団体広報エッセイ集より13

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このお母さんからは・・・

何度も何度も・・・

ビックリするような話を聴くことがありましたし・・・

ビックリするような場面にも

一緒に出くわしたこともありました。

一緒にみんなで捜索したり・・・

心配したことも・・・何回あったかなーーー

 

でもおうちの方は・・・

それ以上に・・・

毎日毎日・・・ハラハラ・・・ドキドキしながら

彼と共に過ごしてきていました・・・

 

大きくなって・・・随分落ち着いて・・・

来ました・・・

 

今では・・・とても朗らかで

笑い話にさえなるくらい・・・

みんな一緒に成長してきました・・・

 

まだまだ・・・笑えない子育てを

しているみなさんには

「不謹慎だ」

と叱られることもありましたが・・・

 

こんな日が・・・来れたことが

この家族の成長の証・・・

地域でみんなと一緒に生きてきた証だと・・・

私は思っています。

 

トゥインクル

 

息子は三歳になる前に自閉症と診断されました。

多動でずっと育てにくさを感じ、

言葉が出ないこともあり、

いつか治る症状くらいに思っていた私に、

一生涯治ることのない障がいと言う言葉に、

ショックでとても落ち込みました。

太宰府に開所する通園施設に入園が決まり、

ホッとしたのも束の間、

灯油タンクのポンプに口をつけ吸ってしまい、

救急車で病院へ・・・

誤嚥性肺炎で一週間四十度の熱で

ぐったりする息子を見て、

多動でもいいから元気になってほしい

と思いました。

一か月遅れで入園し、その時園の先生から

 

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「お母さん頑張りましたね。

これからは妹さんと過ごす時間を

作ってやってくださいね」

 

と言われ涙が出ました。

 

二歳下の娘は、息子の入院で、

いきなり断乳され、療育のたびに人に預けることが多く

全然かまってやれませんでした。

どこに行っても走り回る息子が優先で、

娘の方が迷子で保護されたり、

ベビーカーに乗せて出かけても

そこら辺に置き去りにして

知らない人にあやされたりと・・

この頃の写真は、じっとしていない息子を

抱きかかえ娘の手を引いて疲れている私の顔。

毎日が大変で余裕がありませんでした。

 

超多動の息子はよく行方不明になりました。

三歳の頃、国道のセンターラインを

走っていて保護。

ある時は、大好きな鉄塔を目指してか、

いつの間にか有料道路に入ってしまい

運良く保護されたこともありました。

考える会のプール&バーベキューでも

裸で脱走、パ

トカーに乗って帰ってきました。

出かける為に家に鍵をかける、

家に帰って車から降りる。

その一瞬一瞬が、いつもドキドキでした。

学校に行く朝いなくなり、警察、消防、

地元の様々な方々、警察犬まで出動して

大捜索したこともありました。

小学校時代は脱走の日々で

四年生頃からはズボンのポケットに

GPSを入れ縫い付けていました。

いなくなって捜索して見つかるまでは、

たまたま通りかかる救急車の音に

心臓がバクバクでしたが、

いつも息子は何事もなく帰ってきました。

 

小6の電車ブームが来た時は、

検索して居場所がわかっても

電車に乗っている息子に追いつくはずもなく、

筑紫駅、久留米、甘木、柳川駅には

保護してもらい迎えに行きました。

電車ブーム(西鉄)は、大牟田まで連れて行ったことで

落ち着き半年くらいでなくなりました。

JRに行かなくて良かったと思いました。

小学校は、地域の学校に通いました。

五分とじっとしていない息子が

周りの子達の影響もあり学ぶことの楽しさを知り、

人と関わることの楽しさを知った六年間でした。

電車ブームもあり、

歩いて五分の中学校に通うことはできませんでしたが、

中高と支援学校に通い徐々に落ち着いてきました。

問題行動はちょこちょこありますが、

小さい頃の大変だった頃を思えば、

今はとても平和です。

 

息子はこの夏十八歳になり、

来春は高校卒業です。

多くの人に関わってもらい助けられ

支えてもらった十八年です。

息子のおかげで、いろんな人に出会え、

笑える今日にとても感謝です。

卒業してからの生活の方が長く、

先は見えませんが一日一日を大切に笑顔で

過ごせたらと思います。          

                    (k・k)

「障害」児・者団体広報エッセイ集より12

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そうそう・・・

子どものことって・・・

初めから何らかの「障害」がわかってる場合と・・・

途中から・・事故や病気で・・・や

他にも・・・

途中から“気づかされる”こともある。

このご家族も・・・

このお子さんのほかに・・・

途中から“きょうだい”のことでもご相談を受けた。

 

「とにかく生きにくそう・・・」

 

「特性を知ることは、

本人にとっても家族にとっても

これからを考えていく材料になる・・・」

 

その選択の中から・・・診断を受けた。

診断を受けて・・・様々な葛藤もあったことだろう

 

けれど・・・

今・・・そのお子さんも高校生活を楽しんでいる。

もちろん・・・このエッセイに出てくるお子さんも

イキイキと中学生・・・

 

そういえば・・・最近ちと・・・ご無沙汰かな・・・

まあーーーそんな年頃だもんね。。。

 

 

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トゥインクル

 

妊娠四カ月検診で「二分脊椎」と診断されました。

二分脊椎は脊椎の形成に異常がある先天性の障がいのことです。

私の持病を心配して、医師や家族は諦める選択もあるとの言葉。

 

「それは、私の中ではありません。」

 

と、伝えたあの時の自分の選択は、

今も間違っていなかったと思っています。

もしかすると、ずっと歩けないかもしれない

などの不安材料を抱え育てていけるのかな?

など悩みました。

子育ては、自分一人では限界もあります。

家族だけでなく、周りににもサポートして

いただきながら現在、過ごしています。

 合併症もあり、肢体不自由ですが、

保育園で一年間過ごし、地域の小学校に

六年間通いました。

地域の小学校で、沢山のことを学び、

たくさんの出会いがありました。

学年が上がるにつれ、色々と

壁にぶつかってきましたが、

その度に乗り越えながら成長してきました。

 

正直、辛かったこともありました。

 

いろんな思いや悩みを抱えながら不安になり・・・

でも不思議と子供が顔(特に笑顔)を

見せてくるとなぜか、

悩んでいても仕方ない!どうにかなる!

という気持ちにさせてくれる存在はすごいです。

 

いつの日からか自分の中で

 

「私達親は、子どもからいろんなことを教わっていたり、

経験させてもらい勉強させてもらっている。」

 

と思うようになりました。

 

注意すると反抗する子どもに対してイラっとすることもありましたが、、

 

前向きに考えたら

 

「あ、ちゃんと自分の気持ちを上手に伝えようとしているのね」

 

と、自分に良いように解釈するようになり、

何となくですが、

気持ちが楽になりました。

怒るのも体力使いますから(笑)

 

 今も子育て勉強中ですが、

いろんな発見があり、

毎日、面白おかしく過ごしています。

 

 子ども達に日々、感謝です。  ありがとう!

                                                              (k・H)

 

 

 

 

 

 

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「障害」児・者団体広報エッセイ集より11


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私たちの子どもは・・・様々な福祉制度を活用しながら

生活をしています。

その中で・・・うちの子どもが利用しだしたころ

1番に使いだしたのが

この「移動支援」サービスでした。

その中で・・・数年して出会ったヘルパーさんです。

今でも私たちの会の活動に積極的にかかわってくれ

子ども達のことが大好きで

毎回・・・大笑いしながら支援をしてくださっています。

私の娘も大好きで・・・一緒に出掛けることができる日を

楽しみにしています。

うちの下の娘が「ヘルパー」の免許を高校卒業と同時に取得でき

19歳から「ヘルパー」のバイトをさせてもらい

指導を受けさせてもらったのも・・・

このヘルパーさんでした。

ホントに・・・親子共々様々な場面で関わっていただき

そしてご指導いただき・・・有難い限りです。

感謝しかありません。

こうやって様々な活動の中から・・・様々な方と出会いの機会を

いただき・・・

それぞれの家族や「障害」児・者がよりよい・・・

楽しい幸せな毎日がおくれていることに

日々感謝しながら・・・

私達・・・親の会の在り方も・・・福祉サービスだけでは

補うことのできない部分にきちんと向き合って

やっていかなくてはならないな・・・と

日々感じながら行動しています。

 

 

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トゥインクル

 

私が、考える会の皆さんに出会えたのは、

私の仕事(ヘルパー)でのご縁をいただいた

利用者さんとの出会いからです。


 この出会いは、私が福祉に携わり、考え方、

関わり方を大きく変えてくれるきっかけになるものでした。
 

私は一般事務職、子育て主婦と福祉、

障がいとは無縁の生活を過ごしてました。


 そんな私のターニングポイント

というものがありました。


 私の主人のお義母さんの闘病介護に携わり、

闘病中の痛み、精神的な辛さ

それを見守る家族の辛さを目の当たりにしました。

そこで、少しでも介護される方達に

寄り添える事が出来ればという思いで

ヘルパーの資格を取りました。
 

最初は高齢者のヘルパーとして、

働いてみましたが、生と死が隣り合わせの現場が

堪えきれずに悶々としておりました。


 その後に、障がい児、者さんたちの支援に

入るようなきっかけを頂きました。

タッチ、ふれ愛で、私自身心が温かくなりながら、

また利用者さん達も出来なかったこと等が出来るようになったり、

前向きになったりと、喜んでいる姿を見ていると

穏やかに支援ができるようになりました。

 

そして、楽しい時間を共に共有できていると

幸せを感じながら支援させていただいてます。


 考える会で出会う沢山のお子さん、

ご家族と関わりを持たせていただきながら、

子を持つ母親の目線で触れさせていただき、

お母さま達の癒しの場になればと、

マッサージを通じて、考える会の中での

イベントで行わせていただいてます。


 これから先、今、私が担当させていただいてる

利用者さん達の将来へ進むお手伝い

お母さま達に少しでも寄り添える支援者

になりたいと微力ながら、勉強中であります。


 このようなご縁に出会わせてくれた

Mちゃんに、感謝です。

                                        (E・S)