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perfection of mind ~自心に究極の輝きを~

生まれ育った地域の中で、「障害」児・者が共に生き、学び、育ち、それぞれが尊重され、誰もが、幸せを感じイキイキ活動できる地域になることを目指し活動して行(生)きます。

たら、れば、べき?って言ってます?

f:id:variouspeople:20210120162911p:plain


よく講演会や勉強会の後に感想をいただきます。

また何かの会議や研修の中でもよく・・・

こんな言葉をお聴きします。


「私はこうあるべきだ思っています」

「ここが何とかならないかなと思うのです」

「なんで、あんなことが起きたのでしょう?
そんなことをする人の気持ちはどういう風なのか?

想像ができません。」

「管理職がするものではないんですか?

「プロとして、対処するべきではないでしょうか?」

「その前兆に気づけなかったのでしょうか?」

何か問題だと思われたことや、虐待などが
自分の目の前で起きたとき、
自分の感情が激しく動くと思います。

でもその問題点を上記のように話しても
ことは解決いたしません。

そのおっしゃってることは・・・

「解決したい」と思っていると
受け取ってもいいものなのでしょうか?

でも、思っている・・・言う・・・だけでは
ものごとは変わりません。

誰かが、動かなければ、決して変わりません。

まずは思ったことを相手にわかるように
しっかり言葉に言語化することです。

しかも、相手を思いやって、相手の立場になって
伝えることです。

相手をやっつけるための相手を言い負かすための
言葉はいりません。

今、何か問題があると・・・虐待があると、
思うことは思うのですが・・
実際にアクションをする人がいないのです。

自分の頭の中で考えただけでは・・・
何も変わりませんし、なんの解決にもなりません。

正しいことを正しいと、
言い続ける人が足りない・・・

その時の「点」でしかない。

言い続けないから「線」にならないし・・・

「面」にもならない。そう・・・つながらないから

その課題や虐待がなくならない。
それは、考動していない人が
多いからかもしれません。

「そうは言っても、私にはできません」

「それは、管理職がやるべきことではないですか?」

「その人がプロの立場としてやればいいんですよ」

「資格の問題でしょ?」

「虐待通報したらどうですか?」

「素人が手を出さない方がいいですよ」

そう・・・自分が、行動しない理由を
次々言って、自分を守って考動しない状態をつくっていく・・・

今までと変わらなければ、現状は全く変わりません。

法律があれば、なくなりますか?
やる気があれば、なくなることなのですか?
その人がいなくなればいいのですか?

みないっふり?臭いものには蓋?

問題点や虐待を知っているのに、
考動しないのであれば、そのやっている人と

同罪なのではないでしょうか?

気づいたら、
気づくだけではなく・・・考動。

f:id:variouspeople:20210101214620j:plain

あなたの1歩が、
問題点や課題の1つを減らすことになるのです。

考動しましょう。
その1歩を・・・踏み出しましょう・・・

あなたは今のその現状に何ができますか?
目の前の状況を、見過ごすだけでいいのですか?

利用者のことを周りのことを思っているような

言い回しではありますが・・・
なにも考動しないのであれば、
利用者を守っていることにはなりませんよね・・・

それでいいのでしょうか?

なくすために自分が何をしたらよいのかを
考えて・・・

さあーーー今日から実行していきましょう。

多数の目だけで大丈夫?

20190826201900障害」者事業所にお勤めのみなさんは

日常会話を意識していますか?

事業所では多数のスタッフがいても

何か起こるときってありますよねーーー

多数の目があっても、
それに頼ってばかりでは、
物事の起こりを発見はできませんし、
課題の改善もできません。

目の数ではないすなわち・・・

人数ではないということです。
必要なのは、大切なのはその目の質です。

たとえば、日報や報告書

まあーー一般的に書類であれば、
一般職からあげたときに、
主任がチェックして、またその上の係長にあげます。

係長でチェックして、また課長にあげます。

課長でチェックして、部長に・・・

と何度も人の目を通すとわかったとき
自分がしっかり見なくても、次がきっと見てくれるだろう

と思ったら・・・見逃しますよね。

また、役職がつくと・・・ちゃんと部下が見ているだろうから、
自分が見なくてもいいだろうとか、
自分はよく現場はわからないから

部下の言う通りに通してやろう、などと、思ったときにも
きっと大事なことを見逃します。


重要なケガの報告などが口頭で上がってきたとき、

利用者同士のトラブル・・・
それをもし、誰かがチェックをするだろうということで、
自分のこととして自分でできるチェックを怠った場合、
それは、何ごともなかったかのように
処理されることもあります。

利用者にあざができた。いつもひっかき傷がある・・・
それはその利用者は、いつもよくぶつけることが

や場所があるから・・・傷になる何かがあるから・・・
今日もそういうことでしたけがなのだろう・・・
職員が、見ているはずだから、単なるケガだろう。
などと、自己判断で理由づけをしてしまう。

そういう通常ありがちなけがに対しても、事故に対しても
「今日の原因」を「今日、今」
気にしなければ、知ろうとしなければ、
スルーしてしまうということで、何かがあったという事実が
なくなってしまうのです。

それを自分が見なくても、
誰かに任せておけばいいと思ってはいませんか?

あれ?おかしいな?
ん?どうして?

などと、疑問を持てるチェックができているでしょうか?

それを勝手に自己判断して片付けてないでしょうか?

多数の目があれば、まちがいや虐待が、
防げるわけではなく・・・
たった1つの目であったとしても、
気づく「質」を持った目であれば、気づけるのです。

逆に多くの目があるから大丈夫だろうと
思い込み過ぎると、見つけることはできません。

あなたの組織の多数の目の質はいかがでしょうか?
一つ一つの質を上げることを考えていますか?
一人ひとりが自分事として

実行することができるようにしましょう。

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それは、間違いかもしれない。気のせいかもしれない・・・
でも間違いを発見できてよかった!気のせいでよかった・・・

になりますよね。

それは、虐待かもしれない。いじめかもしれない・・・
あーー虐待を発見できてよかった。いじめを防止できた・・・

誰もが「とりこし苦労でよかった」

そういう気持ちになれるよう、

気づきの目を持っていきたいものですよねーーー

あなたの周りは大丈夫ですか?

パニックを起こす原因わかってますか?

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ご相談の中に

事業所でも、ご家庭でも、外出支援中でも、
自閉症の人がパニックを起こすことを

ご心配している姿があります。

でもそれには必ず理由があります。

なんでもそうだと思うのですけど、
行動には、理由、原因必ずあるのです。

だから、もしその行動が、
無くても良い行動がとれるのであれば、
その原因となるものを取り除く視点、観察力、洞察力

を持ちたいものです。

例えば、パニックについては、
もしかしたら?SOS行動かもしれない・・・

嫌なことや困ったことがあって、
その表現の仕方がっどうして良いのか?わからず、
行き場がなくなって・・・ドカーーーンって

パニックという形になっているのかもしれません。

表現方法さえわかれば、
別な方法で表現できる人も出てきますので、
その表現方法をどうやったら取得できるのか?

を考える支援が必要になってくると思います。

そして、支援者としては、
できるだけその原因を周知しそうならないようにすることが

必要になってきます。

本人にとってパニックになるほどの嫌なことや
困ったことがあるわけですから、
それを省くということは必要です。

そして、たいていその嫌なことというのが
支援者の支援の方法・・・ってことが多くあります。
ですから、支援方法を考え変えるということです。

他に注意すること・・・
虐待という方法を支援中に使ってしまうのも、
原因があります。

支援者のスキルの未熟さ、
ストレス、不安、
組織チームの未熟さなどが考えられます。

ですから、その原因を取り除くというのは、
スキルを身につけたり、
ストレスの減少を図ったり、
自分の不安を取り除いたり、
組織やチームの課題を学んだり改善したりと

言うことになりますねーーー。

この原因をなくすことで・・・

虐待につながることが無くなるのではないでしょうか?

パニックも虐待も
どちらにも原因があって、
その原因をなくせば、なくなるということです。

そして・・・パニックと虐待は密接なつながりがあったりもします。

虐待を受けている方の多くが、
行動「障害」の方に多い傾向にある・・・

そして、パニックの多くの原因は、

支援者がつくっているということを自覚しましょう。

虐待の原因は、支援者本人の問題だけでなく、
周りの環境要因ももちろんあります。

けれど・・・このどちらも、

「障害」があるご本人のせいではありません。

そこには支援者の技術の未熟さやストレス要因などですから、
そこを改善すべきです。

そしてこれは・・・虐待を起こした本人だけのせいでもありません。
一緒に支援をしている仲間や家族も
どこかでその負のスパイラルを切るための協力ができるし

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これは他人ごとではなく・・・自分事なんです。
同じような場面が別なときに起きても、
結局のところまた同じような方法でないと、
回避できなくなってしまいます。

だから、負のスパイラルになってしまう・・・

原因を追究し、
負のスパイラルを断ち切ることで、
パニックを起こしたご本人も、
虐待をしてしまった支援者も、
そこから助け出してほしいと思います。

もしその事実を知っているなら、
どうか行動を起こしてください。

原因を徹底的に回避する・・・
そのことが、パニックも虐待もなくす最短の道ではないでしょうか?

パニックや虐待に対して他人ごとにせず
ご本人や仲間を助ける一助となるように・・・

みんなで一緒に考えていける環境づくりをしていきましょう・・

「障害」人の死、お別れのとき・・・

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自分の子どものときも思ったのですが・・

葬儀。

これって喜びとは違う世界。

人的には動かなくなって、その姿の最後のとき

次に骨だけになって、もう会えなくなってしまう

そこを伝えるのって・・・とても難しい

「障害」児・者の彼らには、この経験ができない人もいます。

葬儀の最中や
参列してくださった方に
不快な思いや迷惑をかけたらいけないから

ということや・・・
長い葬儀の最中に
本人の面倒見なければいけないということなどで、
ショートステイや何らかの方法を考え
使われる方も多いようです。

でも、私も様々な葬儀に参列させていただきながら、
やっぱり、ご家族の葬儀には、彼らを参列させてほしいとも
思うのです。

もちろんそばについている人は
一人いたほうがいいのかなとも思いますが・・・

(そんな葬儀も見てきました

印象的だった葬儀

うちの子は10歳のときペットとの別れがありました。

動かなくなったペット・・・

火葬場に連れていきました。

焼き場に入れてまち、その後焼き場からだし

骨になって出てきたとき・・・

彼女は「エルは?」と不思議そうな顔をしました。

「お空に行ったよ」そう言っても彼女はわからなかった・・・

(゚д゚)!びっくりしていたんです。

でも・・・その後・・・わかったのです・・

彼女は「焼き場」の理解ができませんでした。
彼女はあそこに入って出てきたら・・・

「元気になって出てくる」と思っていたことが

あとあとわかりました。

また別な方ですが、
あるお父さんの葬儀でのこと。

お元気だったから予測できない・・・

あっという間の出来事でした。

自閉症の彼女は前日のお通夜では家族で過ごしていました。

そして葬儀当日は・・・

出棺前までヘルパーさんと2人控室にいました。
出棺前のお花を供えするとき・・・きちんと花をお棺に入れ

「お父さん」とつぶやいていました。

頭のいい子です。いつもは雰囲気が違うと

パニックになりやすいのですが・・・

きっと昨夜の家族とのお別れができていたのだと思います。

長い長い葬儀が終わるころ、
家族のあいさつにも並んで
家族の代表として参列できました。
お棺に眠るお父さんを、
優しいまなざしで、見ていました。

家族代表の方のあいさつが終わった時に、
頭を下げた瞬間、
彼女も自ら頭を下げました。

立派でしたよ。

こういう場面に会うことは、
彼らにとっても
人生の中の気づきの場となります。

確かに葬儀中に面倒を見るのは大変なことです。

でも、一度しかないその瞬間、
ぜひ、ご一考いただければと思います。

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うちもそれから・・・何度も「葬儀」の場面に出会い・・

そのたびに・・・なるべく彼女を連れていきました。

しくしく泣くこと・・・号泣すること・・・

うちの父が亡くなったときは・・・通夜からずーーーっと思いで話をしながら

出棺のときには大きな声で

「じいちゃん・・・ありがと。。。ありがとねーーー」

って大声で言って号泣しました。その姿にみんなの涙涙でした。

 

どうぞみなさま最後のとき・・・

その時のことを考えておいてくださいね・・・

どのご家族にとっても、
後悔のない葬儀になりますようにと・・・願っています。

ホントに「育てにくい子」?

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「育てにくい子」というフレーズで、
世の中のママたちが、
すごく困っている状態の
SOSで・・・ご相談が舞い込んできます。

どうして?育てにくいと思ってしまうのか?

そのご自分のお子さんだけを見ている中で

そうはきっと思いませんよね?
その多くの原因は、

何かと誰かと比べた結果ではないかと思うのです。

人って・・・世間体の中で生きていて

標準や平均を気にしたりしていませんか?
例えば、
体重が平均より重いとか軽いとか、
ミルクは何カ月くらいでこれくらい飲んでいるとか、
この時期の赤ちゃんは、首が座る、

お座りする、はいはいするとか・・・

その基準に当てはまらないと、
何だかママたちは不安になってしまう・・・
比べたものと同じようにいかない子育てが、何だか
「育てにくい子」になってしまうのだと思うのです。

そこあるのは、ネット情報や育児雑誌、ママ友との会話
「子育てマニュアル」のようなもの・・・

そこに書いてあることを
うのみにしてしまうと、そこから外れているから、
だから育てにくいのだと
勘違いする・・・思い込むこともあるのではないか?と思います。

子育てって、自分がやっていることが
正しいかどうかなんてわからないので・・・
子どもを大事に思うママとしては、

心配でしょうがないのです・・・当たり前の感情です。

何が子育ての正解なのかと、
探りすぎると、自分のお子さんが、
正解じゃないような気になるのではないかと思います。

子育ての失敗談とか、
あまり、雑誌などには掲載されないかもしれないですしね。

何だか情報と違うけど、この育ち方でいいのだ!という
「保障」みたいなものが・・・きっとほしいのでしょうね。

さらに言うと、
「障害」のことを書いてある雑誌は、あまりありません。
一般の場合は、雑誌に書いてある。でも・・・
そこから外れることでの不安があります。
「障害」児の場合は、なにも書いてないからこそ、
何を基準にしたらよいのか?さらにわからず・・・
そこに大きな不安があるのではないでしょうか?

そして・・・
「育てにくい子」という感覚になっていますが、
これって・・・実は
ママ自身が「育て方がわからない」不安の表れの言葉だと思います。
どんな子であろうと、育て方がわかれば、
育てにくいとはならないはず・・・

「育て方がわからない」

この途方に暮れる部分には、
「どうしたら、わかるだろうか?」と
考えることも必要だと思いますが、
子どもって、みんな同じ育ち方はしないということを
大前提にしてもらいたいのです。

小さい子もいるし、大きい子もいるのと同じように、
成長が早い子もいれば、ゆっくりの子もいます。

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育ち方は、その子その子で違います。
もちろん、専門的な部分は、お問い合わせいただきたいですが、
この子は育てにくいんだと結論づけたとしても

それはなんの解決にはなりません。

「子育てを楽しむ」そんな言葉もありますね。

何が楽しみになるのだろう?
この育てにくい子の楽しみってどこだろう?

そんなふうに考えると、案外見えてくるものがあります。

育てにくいのではなくて、
自分自身が育て方がわからないだけのはずです。

わからないことを聞くことは恥ずかしいことではありません。
恥ずかしいと思って聞くことができないこと、
そのことこそが・・・

どんどん育てるのが憂鬱になっていく原因です。

育てかたがわかってくれば、
育てる中に楽しみが見つけられるのです。
そして、この子が生まれてきてよかったと思えると思います。

見つけにくかったら、
ちょっと「育てる」のお手伝いをするところはあります。

(私達もそうですしね・・・)
どの子育てにも楽しみはあります。
あなたがお子さんをかわいがることができるようになる

お手伝いできますよ。

「育てにくい」
「育て方がわからない」
「子育てを楽しみたい」

そんなママを、応援しますよ!

 

いつでもお問い合わせくださいね。

やらせている・・・作業になっていませんか?

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「障害」の福祉事業所の雰囲気はいかがですか?
作業をしている施設では、利用者の人たちは
日々どんな様子でしょうか?

もしかしたら・・・

やらされているような状態ではないですか?
無関心、嫌い、意味がわかってない
興味がない・・・

もし、一人一人の利用者の人の様子を見て、
こういう状態の人がいたとしたら、
それは、良い作業を提供しているとは
言いづらいと思います。

逆に、

作業大好きーーー
もっとやりたい・・・
レベルをあげたい
みんなと一緒にやるから楽しい
いろんなことをやりたい

こういう利用者の人は、
作業をする上での
利用者集団の中のキーマンになりますよね。

場を盛り上げ、やる気を見せたり、
楽しそうに、イキイキのりのりでやっている人は、
ある意味リーダー的存在。

特に笑顔で、
「がんばるぞー」「熱おーーー」(福岡の野球好きしかわからない)

と雄たけびをあげるタイプの人。

ムードメーカーになりますよね!

何かの作業をしていて
ランチの時間になっても
残りの仕事があと少しのときに、
利用者の1人が、
「あと少しだからやっちゃおーーー」
と、声をかけてると
「おー」「やっちゃおーーー」
とか、
「あー」
とか、言っちゃって・・・
仕事の段取りつけてから
ランチへ・・・
「これだけだから」とやっていました。

作業をするときに、
重度とか軽度とか・・・できるとかできないとか
そんなことは関係ないと思っています。

今、自分がすることを、
自分で決めるか決めないか?

これは、スタッフもそうなのです。

やると決めるのは、本人ですが、
そう決めるかどうかの情報は、
スタッフからの伝え方もありますよね。

作業は、提供物なので、人の気持ちは大切。

やるかやらないか、
自分で、決めてよいわけです。

でも、もしやると決めたなら、
やらない人がいるところでやるよりも
やる人のそばでやるほうが、
エネルギーも意識も高くなると感じています。

だからムードメーカーは、必要!!

そして、やり終わったときも、
みんなで喜んで、拍手して、ねぎらって、
今日のミッションができたことを仲間と共に喜び合う。

すると、
「また明日頑張る」「仕事がどんどんしたい」
と声が上がり始めます。
達成感、有用感・・・ですよね。

そしてこれが・・・
「勢いのあるチーム」になるのですよね。

自ら、作業に取り組もうとしている
一人ひとりによって、仕事は構成されます。

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もともと
そういう人ばかりではなくても、
スタッフから、作業をすることのメリットや、
もちろん作業をしなくても良いことも含め、
伝えていくことだと思うのです。

その中で、本人が選べばよいのです。

やるのか、やらないのか。

これも自己選択、自己決定の世界です。

やることの楽しみや意味を自分で考え、
やると決めたときの強さが集まると大きな力にもなります。

もしかしたら、彼らは、もともと、
好きでこの作業をしていない可能性だってあります。

でも、そこをカバーするのは、
この作業をすることで、得られること。

実際に納入先から感謝されたり、お客様が喜んでくれたり
売り上げが上がれば、工賃だって上がることになる
わかりやすい指針となります。

何が彼らを動かすのかは、一人ひとり違いますが、
それはお金であったり、役割であったり、
仲間との時間や楽しさであったり、
頼られることや自分の存在の確認が
できるようなことが増えることかもしれません。

そういう何かが、人を動かすことは、
誰にでもある。

やるか?やらないか?

どちらでもいいのです。
彼らが決めることです。

でも、作業をすることで、
ここちよい何かを感じることができれば、
ホントはやるのだと思いますし、
本人の自信や勢いもつきます。

勢いがつけば、
実は、彼らの強みが活かされますし、
作業量が増え、工賃も上がる。

スタッフが、
「やらせること」を主としたり、
スタッフ自身が作業することに徹していても、
だめなのです。

もちろん、
スタッフが支援をしつつではありますが、
作業をやろうとするのは、
本人たちですから、
スタッフは、そこを勘違いしてはいけません。

彼らの勢いにつながる
作業現場になるために私たちは何ができるのか?

勢いある方向にサイクルが回転するように
常に応援団に徹し、

どうすればいいのか?を常に自分に「問い」ながら
支援をしていきましょう!

それって「教育」?「虐待」?

20191025150437


自分が子どものころも

よく思っていました。

ママ・・・早いよ。
私、一生懸命急いでいるよなのに・・・
なんで「早くしなさい」って言うの?

おばあちゃん
私が楽しく遊んでいるのに、
なんで、「何訳が分からないことしているの?」
って言うの?

パパ、なんで・・・
「もうお兄ちゃんだぞ!!そんなことするな!!」って
お兄ちゃんになったら、してはいけないの?
じゃあ・・・どうすればいいのかを言ってほしい。

ママ、パパ
何でぶつの?そんなにいけないことしているの?
痛いっていうと、
うるさいって、もっとぶたれる。
テレビのまねっこしてるだけなのに・・・

おじいちゃん、
そんなことじゃあダメ!っていうけど、
じゃあ、どうすればいいの?

電車やバス、車の中で
「じっとしなさい」「静かにしていなさい」って、
いつも言うよね?
大人は、スマホで遊んでるでしょ?
私は足をブラブラして

独り言を言って遊んでいるだけなんだよ

ほんの一例です。
きっと「障害」児目線ではこう思ってるのではないでしょうか?

「障害」児じゃあない子も・・・きっとそんな感じですね・・・

子どもは、大人の頭の中は見えません。

でもきっと
大人のしていることは、
なんだか、言ってることとやってることが
違う感じがするなーーーって思っているのだと思います。

大人のしていることが変だなと思っても、
それに対して、質問したりできればいいけど、
でも、言えないですよね・・・そんな語彙はない・・・
あったとしても・・・

言ったらまた叱られる気もしてしまうのではないでしょうか?

こんな部分から、児童虐待に
つながる場合があります。

親は、一生懸命育てているのだと思います。
教育をしているつもりだと思います。

だからその効果がない。できてないってことが
叩くなどの行為になり、様々な事件に、
つながっているのかもしれません。
一回でも強く出てしまうと、
強く出る方が、効果があるように思えてしまう。
児童虐待の始まりです。

私は「障害」児ではなかったけど・・・

親がそんな感じでした。
それが「障害」児だったとしたら

もっと虐待を受けていたか?仕方ないと思われていたか?

でも「障害」児に一人で向き合っていると

ないこともないのでは?と思います。

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自閉症のお子さんは、
運動機能に障害がある場合が多く
歩くときに足の出し方がわからなくなる子もいます。

コミュニケーションも苦手な子が多い。

私たち大人が、
言っている意味がわからなかったり、
経験していないことを想像できなかったり、
やろうと思っていることが、
うまく行かなかったり、
違う!!だめ!!と否定されたときに、
何をすればいいのか・・・さっぱり
わからないなどのことがあります。

もしかしたら、
あなたのお子さんが
自閉症だったとしても
あなたには、今、
見つけられていない場合もあります。

その、「障害」を大人自身がわからないと、
教育をすることに固執して育てようとします。
そして、できなければ、
また、その子をひどく叱責することになります。

叱ったのに、理解できない。
なんて育てにくい子なんだ。
そして、
なんとか、理解できるようにしなければ!と、
焦ったりした結果が、
「教育」と称した、虐待につながることもあります。
そんな一生懸命なママやパパ、家族を
責めているつもりは全くありません。

今まで気づかなかったことだし、
誰も教えてはくれなかった・・・ことですから

そういうことは、子育て中に他にもたくさんあります。

今している子育ては、きっと辛いに違いありません。

誰もそんなことしたくはないはずだから・・・

一生懸命に子育てしようとした結果、
叩いたりしてしまったのであれば、
叩かない子育てや叱らない子育てが
できることを知ると子育ての世界は変わります。
どんな「障害」があって、
どんな接し方をすれば、お互い笑顔で、
今以上に楽に毎日を過ごせるのかを
一緒に考えていくことができる人がいます。

あなたが、
今しているその子育てや
教育の方法は、自分が子どもだったら、
親にしてほしい方法ですか?

もし、してほしくない方法だったら、
変えてみたいと思いませんか?
あなたを嫌いにならないように、楽しく子育てできるとしたら
その方法を手に入れたいと思いませんか?

子どもって、
これくらい・・・と思って、
叩いたとしても、それは・・・相当の衝撃です。

だから、死んでしまうという状況も起こるのです。

もちろん、ぶつけるだけではなく、
食事や水分を与えないとか、
学校に行かせないとか、
無視をするとか、
そういうものは、
教育や子育ての度が過ぎた状態で、「虐待」となってしまいます。
虐待をしない、辛くない
明るい家庭が欲しくはありませんか?

大丈夫!!
今からでも変わることができますよ。

一気に行かなくても・・・その辛さ・・・

話に来てみてくださいね・・・

子育て~否定語と肯定語どう使う?~

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「障害」があると診断されたお子さんの

保護者との出会いも
たくさん重ねてきました。

私自身が何をしてよいのかがわからない

そんな状態からの出発!!だったので・・・

きっと同じではないにせよ・・・

そんな状態を経験している方もいらっしゃると

思いますし・・・
何をすることで、自分の子どもがこれから
生活しやすくなるかもわからないと途方に暮れているのでは?

と思います。

でも、あなたのお子さんがあなたの人生に
影を落としてる・・・

なんて思ってもらいたくもないですし・・・
もちろん、あなたが、お子さんの人生に
悪影響にもなりたくないのではないでしょうか?
「障害」児・者の世界をこれから知っていこうとしているからこそ、
きっと・・・この人何やってる人?

なんて・・・私にアクセスしていただいたのかもしれませんね?

ありがとうございます。

そんな「障害」初心者の保護者に向けて・・・
ご相談を受けたときにお話しすることは
誰かとお話しするときに、
ぜひご自分の「言葉」に気を付けてくださいとお話をします。

まずは・・・否定語を肯定語に直す
この癖をつけてくださいと話します。
そして、具体的に話す癖もつけていただきたいですね。

このふたつは、
今後、お子さんと
お話をしていくときに
絶対に必要となることなのですが、
私たちが普段生活しているときに
否定語をたくさん使うことに
なれている方の方が圧倒的に多いのが現状です。
目につくので・・・

そこに固執してしまいたくなるのです。

だめだよ。
またやってる!!
いいかげんにしなさい。
きちんとしなさい。
遊んでばっかりいないの!

こういった、
日常使われてる当たり前のような・・・子育ての言葉は、
否定語が多く・・・また非常にあいまいなことも多く、
「障害」があるお子さんには特に通じません。
(もちろん、通常の子育てでも同じですが・・・

でも、大人の親の感情などを、
他の言葉で表現することは、努力でできます。

否定語を肯定語に変えること。
具体的な言葉で話すこと。

この変更することを意識して
今のうちから、慣れていくことをお勧めします。

否定語で話したいなーーーと思ったときに
肯定語に直す練習です。

あなたの頭の中に描いたイメージを
具体的な言葉に変えて、
相手に伝わるようお話しする練習です。

「うるさい!!」は直接的すぎる。では・・・

「静かにできないの・・・」

これも言葉の中には否定語が含まれ、
あいまいな言葉も含まれているのがわかりますか?

「ちょっと待ってて!!」
この言葉の中には
ふたつのあいまいな言葉が含まれています。

わかりますか?

そう・・・よく考えればわかるのですが

簡単に使ってしまうのです。

そして、相手がわることが当たり前だと

思ってしまうのです。

でも、「障害」児には、とってもわかりにくいのです。

f:id:variouspeople:20210104202315j:plain

ご自身で否定語を話してしまったときに、
ん?と一旦考えて、
この言葉は、どう言い換えればいいかな?
と考える癖をつけてみることをお勧めします。
焦らず、一つ一つ直して言葉にすることです。
頭の中に描いていることを、
まず声にして話してみてください。

たとえば、街を歩いていると、
否定語を使っている大人と多く接することもあるでしょう。
そのとき自分だったら、
こういう言葉にしてみようと、頭の中でトレーニングする

事例検討ができると思います。

普段から慣れていくことが、
後々のご自分の子育てをしやすくなることにも
つながりますので、ぜひ体験し・・・実践してみてくださいね・・・

「障害」者の工賃について

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「障害」福祉事業所では、
工賃を時給や日給で計算しているところもあるし
個人の評価給を導入しているところもある。
その他のやり方をとっているところもありますかね?

私がかかわっている支援事業所は、能力給?評価給?
働いた時間数、また事業所で利用できる免許の種類などにより

金額が変わる方法を取っています。

工賃の考え方の中には、
利用者側の感情があまり反映されていないとは思いますが、
利用者から聞いた話しを通して、
工賃について考える材料にはしてもらえればいいかなーーー

とも思います。

ある施設では、日給換算での支給でした。
来れば、工賃が発生する。
仕事がコンスタントにできる人もいれば、
ほとんど仕事ができない人もいて、
仕事ができる人からは、できない人に不満がありました。

そこで、仕事をしている時間で支払う、時給換算にしたのです。

このとき、きちんと仕事をしている利用者からは、
よかった、当然のことだよねという反応だったのですが、
ビックリしたのは、
仕事ができない利用者の方の声だったといいます。

自分の「障害」の状態により、
なかなか身体が思うように動かないのです。
だから他の人が10分でできることを、

30分から1時間かかってしまう。
一生懸命やってないわけではありません。

だけど・・・心苦しかったといいます。

仕事をしたくても身体が動かない。
でも、たくさんできる人がいて、
その人と同じ工賃をもらっているので、
何が何でもがんばらなければとも思い、
身体が痛くても一生懸命がんばっていた。

でも、思い通りに体が動くときもあればそうでないときの差も激しく、
ホントはやらないでいたい日もあった・・・
だから、仕事をしなくてもいいなら、
ゆっくり過ごして、体を休めることができるなから、
仕事をしないと、工賃がないって言う方法になって、ホッとした。
だって、私は休むことができるから。

ん~、これはびっくりでした。
こう考えていたことに気づけなかったことも

びっくりだったのですけどね。

時間計算になると、これまでより多くなる人は良しとして、
少なくなる人には、職員として、
なんだか後ろめたさもあったのですか、
工賃をどちらにも正しく支払うことが、
やっぱりどちらにも喜ばれる結果になるということなんだ

と思ったことでした。

そんなことを、利用者の方に教えていただいた気がします。

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そう言うこともあり、
この後も、いろいろな立場として、
評価給などの良し悪しも考えてきました。
賛否両論わかれるかとも思います。

本当にいろいろな考え方がありますが、
「障害」状況やそれによるできるできないで
分けるべきではないとも思っています。

それぞれの施設の利用者の状況を把握して、
全体の収入をどんな支給の仕方にしたらよいのか、
利用者のみなさんには、
わかりにくいところもあるとは思いますが、
工賃支給の仕方で、
その方が不幸ではないか?という視点も持ってもよいと思います。

どんな体形がいいのか?

これからの時代の流れと共に

1か所からのポケットではなく

「障害」者も事業を生み出し収入ポケットを増やせる

そんなことも個人的には考えていきたい・・・

そう思っています。

自分が好きな「支援者」

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福祉をやっているとよく安易に

「支援をする」という言葉を使いますよね。
支援というのは、
受け手ができないことを
ただ、助けること、

お手伝いすることではないのですよね。

この方にこれはできるのか?
できないのか?
常に、考え、

たとえそれができなかったとしても
そのことについて困っているのか?
困っていないのか?

ホントにできるようになることが、
必要なのか?
必要ないのか?

できる一つとっても、
苦労してやっていないかな?難しくないかな?
ホントにできることとやりたいことは
違っているのではないかな?

これって・・・重要かもしれないけど、
今、ホントにやるべきできことなのかな?

これをやることで、
この人の体や心のバランスが壊れるのではないかな?

などなど、
いろいろなことも考えていく過程があるのです。

相手はどう思っているのだろう?
どんな人生をおくりたいのだろうか?
今していることの先には、
一体何があるのだろうか?

自分自身、相手の声なき声・・・

相手の頭の中のセリフを思い描くようにしています。

どんなに、支援の仕事を長くやろうとも、
私の考えで、彼らの人生を決めるつもりもないし、
彼らが自分の人生を最高!!よかったと
思ってもらえるに、支援するべきだと思います。

彼らは、
「障害」があるがゆえに、
自分の人生の良しあしさえ
自分ではわからないかもしれない。
だったら支援者として、
彼らの人生にはこんな道もあるし、
あんな道もあるしと
あらゆる提示ができたらいいなと思うのです。

支援には答えがないと言われますが、
もし答えがないのであれば、
こんなにやりがいのない仕事はありません。

答えは私達支援側ではなく・・・必ず彼らが持っているし、
その答えがあるからこそ、
彼らの人生がつながっているともいえると思います。

支援の仕事は、
他人の人生さえも、
変えてしまうかもしれないと思えば、
非常に怖いし責任の重い仕事でもあると思います。

私が思う支援の中で一番大事にしたいのは、
まず、本人がSOSが言えることです。
困っているとか、嫌だとか、自分から言うことです。

そして、彼らが答えを選べるように、
支援者からの情報提供を彼らにわかるように
いろいろな角度からするべきだと思っています。

最終的に、彼ら自身が決め、
彼らが自ら行動することこそ、大事な支援です。

彼らにやさしく、楽しいだけの人生を
勝手につくるつもりはありません。

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彼らだって自分自身で悩み、自分で決める。
人に決められたのではなく、
自分で決めたという人生の中で、
辛いことや苦しいこともあるかもしれないけど、
これでよかったと言ってもらえるような
人生づくりの支援ができるのであれば、
それが支援の答えなのだと思うのです。

私は簡単には手伝いません。

「言うことは?」・・・で
「手伝ってください」と言っていただきます。

「わからない」「決めてよ!」と言われれば、
「自分で考えて自分で決めてください」

(考え方のお手伝いはしますよ)と言います。

SOSや自己決定。
情報提供や自分でできるための工夫は
ちゃんと準備する。ここは手を抜いてはいけませ
もう何人の方の人生に関わってきたでしょう?

みんなの人生すべてに関わるのではなく、
様々な支援者にバトンをつないで、
支援してもらってよかったと
いってもらったとき、正解をいただいたような

気持ちになることもあります。(自己満足(笑))
そして、よい支援であれば、それが次の支援者にも
つながっていくことも大事だと思っています。

最高の支援をしていきたい。
最高の福祉施設を経営していきたい。
他にないサービスでも、その方に必要ならやるべき。

そんな支援の展開をしながら、
自分は、この仕事をしてよかったなと
毎日、彼らに感謝しつつ、過ごしています。

もちろん、最初からこんな自分ではないので、
自分自身日々出会う方々や学びによって変化変容しています。
まだまだ支援者として考動するつもりですから、
自分自身も当然成長して行くべきだし、
そうすると支援力はもっと上ると思っています。

日々成長!学べば変化変容[違和感]の連続で
苦しいときもあるけど、それも、よし。
きっと、明日も明後日も私は・・・支援者。
その生き方は死ぬまで続くのだろうなーーて思います。